「太陽」と「親子の猫」─宝物館における「館蔵三十選展」より

平成16年9月号掲載

 現在、宝物館では神道山ご遷座三十年を記念して「館蔵三十選展」が開かれています。(来年一月二十九日まで)いずれもそれなりの“ 歴史”と“ 物語”をもった作品たちですが、その代表的なもの二点について、教主様に解説していただきました。 (編集部)

 昭和二十五年、戦後のいわば瓦礫(がれき)の中で本教は教祖神百年大祭を迎えました。
この御祭りは、戦争の苦しみ悲しみを安らげるべく地道な御道活動を続けていた当時の先輩方が、戦後初めて晴れやかに集い参り、改めて、教祖神の御徳を称(たた)えるとともに、共々に喜び合ったいわば戦後の教団の出発のときとなりました。
 この年に始まり今に続く黒住教献茶祭、宗忠神社節分祭、またこの年、岡山市内のデパートで教祖神の御徳を伝える展覧会や、数多くの日本画家の奉仕になる今日でいうならばチャリティーセールのような日本画の展示即売会などが開催され、多くの岡山県民市民の協力のもとに御祭りは教団の枠を超えたより大きな動きのものとなりました。
 こうした活動が元となって、久しく途絶えていた宗忠神社御神幸(ごしんこう)が、二年後の昭和二十七年に復活したのでした。
 この日本画展の音頭をとり尽力下さったのが、お道づれで南画(水墨画)家の矢野橋村知道人(やのきょうそんちどうじん)画伯とその親友の金島桂華(かなしまけいか)画伯でした。さらに、金島画伯と深いおつきあいのあった茶道表千家家元千宗左(せんそうさ)宗匠のお呼びかけで、全国的にもあまり例のない、表千家、裏千家、速水(はやみ)、藪内(やぶのうち)、武者小路(むしゃのこうじ)千家の五流派の御家元が毎年交替で奉仕下さる献茶祭が始められました。
 金島桂華画伯は、大元の道連(みちづれ)会館(現宗忠神社参集所)の新築に当たり、矢野画伯とともに大襖(ふすま)に絵筆を執って大作を献納下さいましたが、さらに教祖神の御教えを深く尋ね、その御徳の深さに感銘して神文を捧呈して入信されました。その入信記念に奉納されたのがこの大幅の「太陽」です。
 このお作品の正面に立ってしばらく見つめていますと、まさに日輪となってぐんぐん迫って来るものがあります。
 この「太陽」の右には洋画家熊谷守一(くまがいもりかず)画伯の書「無一物」、左には板画家(ばんがか)棟方志功(むなかたしこう)画伯の書「無盡蔵(むじんぞう)」が並び、真下には戦後間もない頃、鈴木治(すずきおさむ)氏とともに前衛陶芸家集団「走泥社(そうでいしゃ)」をつくって活躍した八木一夫(やぎかずお)氏の作品「素因の中の素因」が陳列されています。仏教で「無一物中無尽蔵」と説かれますが、お日様はまさにその典型であり、“ 因(もと)の因(もと)”、すべての生命の大元であることは言を俟(ま)たないわけで、こういう作品が自然に「太陽」のもとに集まってきたことに尊いご神慮を思うことでもあります。

 昭和三十九年十月、立教百五十年の大祝祭が無事盛大に終了して間もない頃、私は岡山ご出身で在京の財界人の集いに招かれました。今に有名な全日空社長で日中友交に尽くされた岡崎嘉平太(おかざきかへいた)氏や、東芝社長で後に中曽根(なかそね)内閣のときに請われて行政改革の長として活躍された土光敏夫(どこうとしお)氏など、錚々(そうそう)たる方十数名のお集まりでした。それぞれの方が何らかの形で本教とのご縁があり、それを懐(なつ)かしくも感動をもって交々(こもごも)話されるのに胸熱くなったことでした。会の終わり頃に衆議一決して、若い私を外国に行かせて見聞を広めさせようということになり、結局この方たち郷土岡山の先輩のご尽力で私たち夫婦は昭和四十年十月から四カ月間、外国旅行をさせていただきました。それはアジアからアフリカ、ヨーロッパ、そして南米、北米という世界一周の旅でした。各地で様々な方との出会いがあり、また南北アメリカ各地ではお道づれはもとより日本人会や岡山県人会の方々に温かくお迎えいただきました。
 南米のペルー国、リマ市でのことでした。開催して下さった歓迎会の席で岡山県人会の谷本楢雄(たにもとならお)という方から、日本人で現在世界に通じる人に誰がいるかと尋ねられました。いろいろな分野の方をお話しする中で、画家としてパリ在住の藤田嗣治(ふじたつぐじ)画伯のことを申しましたとき「それはオカッパ頭の人ではないか。昔ここリマに来て私どもが歓迎したとき、御礼にと言って親子の猫の絵二枚と猫の顔五枚を画いてくれた。多くの人は猫の絵などいらぬと受けとらなかったが、自分は親子の絵をもらって帰った…。きっとかつての鶏(にわとり)小屋を倉庫にした所にあるはず…」ということで、私は予定を変更して翌日、谷本氏とその小屋に入って、いわゆる“ バフン紙”に貼り付けられほこりまみれになったこの親子の猫の絵を見つけました。当時ペルーでは表装もままならず、持って帰って日本で表具してほしいという谷本氏の言葉で、トランクにしまい込んで帰国後に額装(がくそう)したことでした。数年後、帰国した谷本氏は、日本にいる息子さんと大元の大教殿に参って来られてこの絵画と再会されました。
 「これは素晴らしい。でもこれは私には“ 猫に小判”だ。お供えします」と淡々と話し、息子さんにも異存はなく、早速、御神前で献納式となりました。
 藤田嗣治画伯は大正二年以来パリに滞在し、久しぶりに帰った日本でかつての画家仲間たちから冷遇されて、昭和六年(一九三一)傷心の思いを抱いたまま南米への旅に出ました。ブラジルとちがって日本からの移民の途絶えていたペルーでは、久方ぶりにやって来た日本人の藤田画伯を温かく喜んで迎えもてなしたようです。画く作者の心はそのままに作品に出るものです。
 これは実になごやかな表情の親子の猫です。先年、今は倉敷の大原美術館の館長でもある美術評論家の高階秀爾(たかしなしゅうじ)氏が監修した「藤田嗣治画文集“ 猫の本”」には、百三十匹を超える猫の絵が満載されています。その中に全く同じ構図の親子の猫の図がありますが、それは極めてきびしい目付きで谷本氏から献納されたものとはまるで違うのに驚いたことでした。


 先に記されています、教主様のかつての世界旅行のいわゆる紀行文が、ご帰国後「みそしるの心」と題して上梓(じょうし)されました。今も日新社に何冊かが在庫としてありますので、ご希望の方はお申し出下さい。頒価八百円、送料百六十円 (編集部)