「片山攝三写真展」に学ぶ
平成15年4月号掲載
過日、一日、博多に遊び、折から福岡県立美術館で開かれていた「片山攝三(せつぞう)写真展」を鑑賞してきました。
片山氏は福岡教会所所属のお道づれで、大正三年のお生まれですから九十歳に垂(なんな)んとする方です。私が特に個人的にもお近づきになったのは、十数年前、この“道ごころ”の題字を書いて下さった中川一政画伯の誕生会に何度かご一緒したことからでした。中川氏が平成三年二月、九十七歳の長寿を全(まっと)うして昇天された直後に、神道山の宝物館で氏の追悼展を開催しましたが、そのとき中川氏の肖像写真四枚を大きく伸ばして献納下さった片山氏でした。
氏は、百四十名を超える芸術家の肖像写真を撮影してきた希有(けう)な写真家で、その由来を次のように語っています。
「美術家の顔は個性が強く飾りがない。きびしい造型の世界が粉飾を遠ざけるのだ。飾ればそれが作品に表れて真実をゆがめるからだ。美術家の顔、またそのたたずまいには、大家であればそれだけ、豊かな人間性と長年の練磨が、おのずと息づいている」。
この美術館に陳列されていた五十二名の方々の表情は、いずれも美しく品性高く、被写体となったこれらの方々もさることながら、撮影者の片山氏の人となりをまさに写し出したような作品たちでした。
まず目に飛び込んできたのは、かつて小説家としてならした武者小路實篤(さねあつ)氏のじっと見つめる両のまなこでした。それは、わが心の底まで見抜かれるような鋭(するど)さと、また包みこんでくれるような温かさが同居したまなざしでした。どれほどご自分の心の内を見つめ続けてこられたことか、それだけにものの本体を見通す眼が養われたのだろうと思いました。
武者小路氏は志賀直哉(なおや)氏や里見とん氏らと白樺派(しらかばは)というグループを結成していましたが、そこには、あくまで人間の良心を信じ、またその本心を自他ともに養い育てていこうとする人たちが集まっていたようです。そういう氏が、代表的日本人と仰いだのが教祖宗忠神でした。“こういう方がわが国、日本にいらした。一人でも多くの人に知らせなくては……”とよく口にされていたようですが、先年、本誌にも転載させてもらった「苦難の聖者・黒住宗忠」(「日新」平成十一年二・三・四月号)を、昭和九年、月刊誌「キング」に執筆し、また氏が主宰(しゅさい)していた「心」という機関誌にも教祖神について度々筆を執られていました。
武者小路氏と親しかった中川氏は、こうしたことから本教とのご縁ができ、昭和三十年代の後半のある日、霊地大元の当時の大教殿にお参りになり、それがきっかけで若き日の私は目をかけていただくことになりました。氏の飄々(ひょうひょう)とした中にもずしんとした存在感のある姿は、御宅の庭の白梅とともに片山氏のカメラに収まっていました。
中川一政氏といえば、昇天されて十二年目のこの二月、その所蔵品だったゴッホの「農婦」でマスコミの脚光を浴びましたが、片山氏撮影の中川一政氏を前に、かつて時々お邪魔した真鶴(神奈川県)の御宅でのことが思い出されました。ある時、「きょうは墨(すみ)をお見せしよう」と言って、唐墨(とうぼく)(中国唐時代の墨)をはじめ、由緒(ゆいしょ)ある古い墨の数々を見せて下さり、さりげなくその中のひとつを手にとって「これは横山大観が“生々流転”(東京国立近代美術館蔵)をかいたときのもの……」と言いながら私に渡されました。感心する私に「墨なんか黒けりゃなんでもいいんだ……」と、ぽつりと言われたひとことが、その肖像写真の前で蘇(よみがえ)ってきました。名だたる名墨は名墨として高く評価して大切にされながらも、その墨でもって書き描く側の心が活きていなければ、それは、いわば名墨という名馬も駄馬に等しいということなのでした。
中川氏の盟友でもあった小林和作(わさく)画伯の威厳のある横顔も、印象的でした。その昔、鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)画伯という、本教教徒であり四代様と個人的にも親しかった関西洋画壇の草分け的存在の方に、洋画の手ほどきを受けたという小林画伯でした。そういうことも手伝ってか、大元時代のわが家に来られて、岡山の若い芸術家たちと一緒に大元鍋を囲んだのも昨日のことのように思い出されました。中川氏同様、氏も藤原建氏のつくる備前焼を高く評価して、自らその作品に刻画して下さったこともありました。
日本画の大家前田青邨(せいそん)画伯の写真は、まさしく画伯その人そのものが尊い芸術作品で、しばしその前に立ち止まったままになりました。片山氏はこの作品について次のように記(しる)されていました。
「撮影にあたって、その人の作品が頭にある間は、わたし自身、じゅうぶんな集中状態といえない。たとえどのようにいい作品でも、いちおう心から追って、撮影のときは、ただ相手とわたしのふたりが、相対しているだけという状態が望ましい。しかし、ひとつの仕事に打ちこむ人の顔は迫力がある。その仕事が何であろうと“道”はひとつである。レンズを通して前田さんをみるとき、道をきわめ、道に徹した人の持つ静かで厳しい顔が、重く深くわたしの心に焼きついた。」
片山氏の作品に伺えるのは、いずれもが御道の“祓われた心”でシャッターが切られていることです。これは日々の祈りにも通ずるところで、ひたすら“お祓いを上げる”ときに、一切のものは“追いはらわれて”、自分が拝んでいること、祈っていることすら忘れたときを迎えます。このときこそ「誠、神に通ずる」のときで、“教祖神とわたし”とが強く結ばれている、その御心にとけこんだような至福のときです。片山氏は“……ただ相手とわたしのふたりが、相対しているだけ……”と言われますが、その作品から感じられたのは、写す人片山氏と写される方とが相対するところから、さらにひとつになったその瞬間に、シャッターが切られていることです。ここに、これらの秀作は生まれたのだと拝察しました。
片山攝三氏のいよいよのご長寿を祈りつつ、しかも清(すが)しく心ふくらむ思いで会場を後(あと)にしました。
