すべてに“道”あり

平成14年10月号掲載

今年の春、今日では泰西名画(たいせいめいが)の殿堂として、国内はもとより世界的にも知られるようになった、倉敷の大原美術館の理事長大原謙一郎氏が山陽新聞賞を受賞されたのを祝う会が開かれました。それは有名なエル・グレコの「受胎告知(じゅたいこくち)」を背にした会場という、他所(よそ)では味わえぬ雰囲気の中での祝賀式となりました。正面左手には、フレデリックという画家の画(えが)いた生と死の世界ともいえる大作が壁面いっぱいに掲げられてありました。この絵を指差しながら大原氏は「昨年の九月十一日の米国同時多発テロ以来、この作品を見つめる人が増えてきた。世界が変われば美術館のあり方も変らねばならない……」と、祝意を表す参加者に御礼の言葉を述べながら新たな決意を披瀝(ひれき)されました。
 続く宴会の場で、かねて親しくしている方々と大原氏の挨拶(あいさつ)が話題となりました。
 美術館ですから美しいものを求めて訪ねるのはもちろんのことですが、いつの間にか、その美しさの訴える作品の心ともいうべき働きを忘れて、作家の名前にひかれたり、絵画技術にとらわれたり、揚げ句のはては作品の価格に思いが行ったりしてはいなかったかとの反省の弁になりました。
 それは、美術館を人生と置き換えても言えることで、恵まれた科学技術に囲まれ、経済活動最優先の今日の世の中では、よほど心していないと精神的な充実をおろそかにしがちになること、否、心をその働きの中心とすべき宗教活動そのものさえもが、世の流れに流されてはいないかとの話にも広がっていきました。こうした話に花が咲く中に、私立美術館の多くは財団法人の手になる運営ですが、美術館は宗教法人にも勝(まさ)るとも劣らぬ役割を担うことになるのではないかとも思いました。
 優(すぐ)れた作品に対面してわが心の奥深いところをゆさぶられ、あるいは目覚めさせられ、またあるいは世俗の苦しみから解放されたり、涙して自らを省(かえり)みるという、そういう来館者が増えて来るのではないか、またそうあってほしいという話にまでなりました。


 このことは、社会福祉活動、とりわけ障害者福祉活動に長くかかわってきた本教のお道づれの皆様はお分かりだと思いますが、福祉施設などで奉仕の汗を流すということは、教会所へのお参りにも通ずる清々しさがあるものです。今年も五月、各教会所が一斉に社会奉仕につとめた「まることボランティアの日」でもそうでした。
 奉仕の誠を捧げるお互いにとって、そこが施設であれ公園とか公共の地であれ、それは教会所になっていました。障害者施設にあっては入所者は神様仏様であり、職員の方々はそこに仕える宗教者でした。障害を持った人々に尽くす職員の方々の姿は、宗教者が神仏に祈るにも似たひたむきさと謙虚さがありました。ここに奉仕する私たちは、お参りする信者のごとく誠を捧げ、喜んでいただけることを無上の喜びとしてさわやかな思いで家路についていました。
 裏返していうならば、宗教の祈りの場も、よほど宗教者が真(しん)しに真剣につとめていなければ、美術館や福祉施設にとって代られる恐れがあるということでもあります。
 教祖神は「道を心がくる人は、草双紙((注1)くさぞうし)、麦搗歌((注2)むぎつきうた)を聞いても心の師とするものなり」と御教えですが、あらゆるところにお道修行の場はあり、心を養う場があるということを忘れてはならないと、改めて思います。ここまで記してきて、ふと、昔読んだ「宗教学」(昭和三十六年刊)という本を思い出してページをめくりました。これは、宗教学の泰斗(たいと)として多くの学徒を育てられた岸本英夫東大教授の著書で、その最晩年に下さったものでした。
 その一節に次のような文がありました。
 「……剣道の達人や、芸道の名人が、勝れた心境をもつようになるのも、一筋の鍛練のもたらす修行的効果によるところが多い。勝れた宗教者と、武道や芸道の達人とが、究極の境地において、相通ずるところを見出すのは、それゆえである。真剣にうちこんだスポーツマンにとって、スポーツが、現代的な修行の役割を果たしていることを、見落してはならない。……」(原文のまま)


 本誌で既報のごとく、過ぐる三月の末、宝物館の別館として藤原啓・建・雄氏の備前焼と、前衛陶芸家鈴木治氏の作品を常設展示する記念室が出来上がりオープンしました。
 竣工式の日、それぞれの遺族が語られた一言ひとことは、また作陶生活そのものが祈りであり、自らを養う場であることを教えてくれるものでした。
 啓氏の次男で雄氏の弟敬介氏は、備前焼の窯をたく薪(まき)を買うお金もない生活でも作陶が楽しくてたまらなかった父啓氏を語り、その弟子第一号ともいえる啓氏甥の建氏の日々は、借金取りへの応対であったことなどを紹介されました。ペーソスとでもいうのでしょうか、ある種のおかしみを伴ったもの悲しさを感じさせる啓氏の作品、それがゆえに人々の心をなごませる所以(ゆえん)を見たような思いでした。
 私自身が兄とも慕った鈴木治氏の作陶態度には、それ自体が修行そのものとかねて感じ入っていましたが、この日、長女の淑子女史は、敬介氏に次いで壇上に立って「……日頃の父は精進の連続、行者(ぎょうじゃ)さんのような生活を送っていました……」と語りました。戦後の混乱の中で、八木一夫氏らと京都に走泥社(そうでいしゃ)というそれまでにない前衛陶芸家集団を結成してつとめた一生は、世界に先がけて陶芸でもって新しい美の世界を切り開こうとする志(こころざし)高いものでした。
 いずれの道であれ、誠実に全身全霊を打ちこんで生きた人々のその姿、その足跡には“道”があることを忘れてはならないとつくづく思うことです。

 (注1) 草双紙(くさぞうし)江戸時代の通俗的な絵入りの読み物
 (注2) 麦搗歌(むぎつきうた)麦を棒などで打って、皮をはがすことを“つく”といい、この動作をくり返す時にうたう歌