人に役立っての人

平成14年2月号掲載

今年の元旦放送《山陽放送ラジオ》の教主様のごあいさつです。
 科学技術の世紀、そして同時に戦争の世紀と言われた二十世紀を越えて、新しい二十一世紀こそ、平和の世紀、心の時代と期待された世の人々の思いを、無残に打ち砕くような忌まわしい米国同時多発テロ事件。この時、昨年九月十一日の深夜、私たちはわが目、耳を疑う思いでテレビの前に釘付けになりました。世界中の人々の心を氷つかせた場面でした。とりわけ、一年前の一昨年の八月末、初めてニューヨークの国連本部総会議場に世界の宗教者が集い開かれた「ミレニアム世界平和サミット」、いわゆる国連宗教サミットに参加した宗教者たちは、テロリストたちがイスラム原理主義過激派とはいえ、宗教がらみであったことに絶望的な無力感にも陥りました。この国連宗教サミットに日本からは二十七名の宗教者が参加しましたが、その幹事長役を仰せつかっていました私の長男は、テロ勃発(ぼっぱつ)翌々日の十三日、いわば役目柄知り得た世界の宗教者の主だった方々に、Eメールでもって、これをイスラム対西洋社会のいわゆる“文明の衝突”にしてはならぬこと、今こそ宗教者がそのための努力を惜しんではならない旨を訴えました。
 一方、私たち日本人にとって最も縁遠い存在の宗教であるイスラム教について正しい理解を得ようと、日本ムスリム協会という日本人のイスラム教信者の団体の会長の方に岡山に来ていただいて、「イスラム・・その平和の教え」と題するシンポジウムを開きました。ここでは、この方と地元岡山の各宗仏教者やキリスト教の聖職者によって、金光教や私ども教派神道の者と共に宗教のあるべき道が語り合われました。
 こうしたことがひとつのきっかけとなって、去る十月二十三日、二十四日の二日間でしたが、ニューヨークに昨年の国連宗教サミットの代表者ともいえる宗教者百十名が緊急に集い、それぞれの思いを開陳するとともに、イスラム教のセンターで祈りを捧げ、つづいて壊滅した世界貿易センタービルに最も近いキリスト教の教会で、犠牲者の慰霊祭を執り行いました。これを契機に、これから世界各地でイスラム教とキリスト教を中心に様々な宗教者が集う集まりが開かれていくでありましょう。わが国でも、比叡山で、また東京でもこの種の集会が大々的に開催され、出席した宗教者は、それぞれの信者の方にはもとより、いろいろな場を通じて宗教の本来あるべき姿を訴えていくことを始めました。
 私たち宗教者が最も問題視するのは、あのテロリストたちが「天国へ行ける」と確信したその信仰心にあります。それは彼らにとどまらず、イスラエルとの争いをますます激化させているパレスチナの自爆テロリストたちにも見られます。親鸞上人の有名な悪人正機(しょうき)説、これは悪人こそ救われて成仏されねばならないという高邁な宗教精神で、これを知らないわけではありませんが、無辜(むこ)の人たち、すなわち何の罪もない人たちを犠牲にして天国への道などあるはずがないということを、今こそ宗教者は声を大にしなくてはならないのです。
 洋の東西、また古今を問わず、およそ宗教という宗教に共通するところは、人間を心と身体にとどめず、心の中の心ともいうべき魂の働きを認めること、そしてその永遠を信じようとすることにあります。
 しかし、今日、わが国はもとよりいわゆる科学技術の恩恵に浴する文明国ほど、このような考えの人は少数派となり、人間は死んだら終わりとする即物的、唯物的な生き方が蔓延(まんえん)しているのが現状ではないでしょうか。一方で、あのような極端な死生観を持つ自爆テロリストたちが出てくるのは、このような極端な唯物的人生を歩む人が世界に多いゆえとも言えるのではないかと愚考いたします。
 人間は誰しも自分が大切、いわば自分が可愛い、我がままなものです。しかし、このエゴが強すぎるために、却(かえ)って自らの人生を誤らせる、いわば自家中毒症状を起こしてしまいがちなものです。本当に自分を生かし、人生を意義あらしめるのは、このエゴを小さくし、他の人の幸せに役立って初めて自らも真の幸せを得ることができる、この真理を説き示しているのがどの宗教にもこれまた共通したところです。
 もし神とか仏となる道、また天国への道があるとするならば、それは人となるの道、すなわち他の人々の幸せに役立つ人生を歩んで初めて得ることのできるもの、このことを今こそ宗教者たるもの、自ら身をもって教え示すことの大事を語りあったニューヨークの集いでもあったようです。
 実におぞましい残酷なテロ事件ですが、これを機に、本当に人間らしい人間の生き方に立ちもどる人の多からんことを願い祈りますとともに、ここにこそ、犠牲になってあたら尊い命を失った方々への最高の慰霊の道があると思います。