御真筆「御孝心」と「御ゑこう」
平成13年11月号掲載
「……(前略)御力おとしはごもっともとは存じ上げ候えども、もはや昨日のこと今日()きょういたしかたなくござ候(そうろう)。この上の御孝心には御身御心を大丈夫になされ候て、朝晩の御ゑこうも勇ましくなされ候が誠の御信心と存じ奉り候。道は何事によらずその時その時に応じてその中のよきを取り悪しきを捨てるを恐れながら(以下欠落)」
これは、教祖神御真筆御書翰(しょかん)のひとつですが、教書に掲載されないままにあったものです。今年の四月、松江市の狭田(さだ)教会所の移転新築祝祭に参りました時に、祝祭委員長の袖本重幸(そでもとしげゆき)氏が家宝として立派に表装して伝えてきたこの御手紙を、私の控室の床に掲げて下さっていました。ご筆蹟からして教祖神の御真筆に間違いありませんし、事実、昭和三十二年九月二十五日付の先代教主五代様のいわゆる鑑定書も、ともに床の間に飾られてありました。
実は、教祖神の御真筆の「孝心」を拝見したのは私には初めてのことで、心底から驚き感動いたしました。
本教の教典である「教書」は、教祖神の御筆になる「御七カ条」と書き残された御神詠(御歌の部にあるものだけで二百十二首)、そして主に参勤交代で江戸詰になった岡山藩の藩士の方々に与えられた御手紙(御書翰の部にあるもので二百七十三通)が中心となっていますが、「孝心」の文字は一カ所しかありません。
今ここに改めて申し上げるまでもないことですが、教祖宗忠様のご両親への孝心はご幼少の頃からまことに強いものがあり、それが深められ高められて天地の親神天照大御神への信心となったのが教祖神のご信仰であり、それはすなわち黒住教そのものであります。そういう本教にあって、教主の私が「孝心」の御真筆をこの度初めて拝見できたということは、過ぐる今年の一月七日、新しい「告諭(こくゆ)」でもって、親・・先祖・・教祖神・・天照大御神というひとすじの道の大切さを改めて訴え始めた折も折だけに、感動もひとしおのものがありました。
教祖様のご孝心は、ご両親に心配をかけない子供でありたいとの幼少年時期から始まって、さらにご両親に喜んでいただくことのできる人になりたい、そのためには生きながら神と称え崇(あが)められるような人物になること、という大きな志を立てて努められる青年期へと伸展しました。
人は少なからずその青年期の志が一生を左右するものですが、教祖様はまさにそれを地でいかれた典型的な方で、このお志が花開き教祖宗忠神と人々から拝(おろが)まれるほどの方になり、さらには時の天皇陛下からその名も「宗忠大明神」の神号を賜り、その御社(みやしろ)(京都市・神楽岡宗忠神社)は孝明天皇の仰(おお)せ出された唯一の勅願所(ちょくがんしょ)にまでなるなど、大きく実を結んだのでした。
教祖様のお若い頃の、ご両親に心配をかけない、さらに喜んでいただきたいとのご孝心は、この御手紙の中にも脈々と生きていることを尊く思います。母親が昇天されたこの方に心から同情されお悔やみを申し述べられた上で、「この上の」とまでお書きになって一日も早くその悲しみから立ち上がることこそ子としてのつとめ、孝行であることをお説きになっています。しかもこれも初めて拝見する御真筆ですが、「御ゑこう」という文字です。これは回向と書いて、いうまでもなく仏教でいう「死んだ人の幸せを祈ること」いわゆる冥福を祈ることで、仏式で葬られた母親の霊様に対して、悲しみの祈りでなく、「勇ましく」とまで言われて、いわば「神を拝むには、時刻にかかわらず朝日に向かう心にて拝むべし」との御教えそのままに、明るく強くお祈りすることこそ母親の霊様を安んじる道であると説いていらっしゃいます。
そしてその上で「よきことはつとめてもみな取り給え悪しきことをば祓い給えよ 是、皆、心の祓いなり」(御文一五〇号)との御教えと同じところ、すなわち「祓い」の神髄を教えられています。
しかも「道は何事によらずその時その時に応じて……」との一条は、「根をしめて風に従う柳かな」という御教えを思い起こさせていただくとともに、とりわけ激変の時代といわれる今日の世に生きるお互い、硬直化した物の考え方でなく、時所に応じて適応していく本当の力の大切さをお説きになっていると伺うことです。
それにしましても「御ゑこう」という仏教の大切な祈りを、神道の教祖の立場で教示なされていることを尊く思います。
とかくその信仰心が強く、その宗教に愛着と誇りを持てば持つほど他宗教に対して敵対するような思いにかられがちな人の多いことですが、教祖神はこの点も厳しく戒いましめられていて、たとえば「わが法を自慢して外の宗門や神儒の道は何の益にもならぬよう思うこと、これすなわち法着(ほうちゃく)というものにして取るに足らず」とまで言われています。
私は中学生の頃、父五代様と岡山市中を歩いていて、キリスト教会の前で深々と拝礼する父を不思議に思ったこと、反対に頭を下げずに通り過ごして父に叱られたことを今も忘れません。「人々がうやうやしく拝むところに、たとえ他宗教であっても、敬礼するのは黒住の者としては当然のことだ」というようなことを言われたのを併せて思い出します。それは、宗教者として忘れてはならない“良識”を教えられた時でありました。
今日、“宗際活動”とか“宗教協力”との名のもとに他宗教の方々との交流や共同作業が続けられている本教の原点が、この「御ゑこう」の一言にあるのではないかとも思ったことです。
この御真筆の御書翰は、昨年の秋、九回にわたって執り行われた「教祖神百五十年大祭」の地方版ともいえる、それぞれの教会所におけるこの御祭りが展開されているさ中に出合ったものだけに、私には格別の思いを抱かせるものになりました。
