私の思い出の曲
平成13年5月号掲載
教主様には、ラジオの“FM岡山”において人気番組となっている「フレッシュ・モーニング・オカヤマ」の「私の思い出の曲」に出演されました。去る三月十六日午前八時半すぎから十五分間ほど放送されましたが、その一部を紹介いたします。(編集部)
――第六代の教主ということは、われわれとは違った教育を受けて来られたのかな、という感じがするんですが。その点いかがなのでしょうか?
教主 例えば職人さんの世界などで、父子相伝ということを申しますが、それは日常の生活そのものが親の道を継ぐことにつながっているわけでして、一挙手一投足と申しますか、親父のすることを盗み取る。というよりも、それをまさに真似び、学んで身に付くもの。それが本当だと思っていますから、私も特別な教育を受けていませんし、また息子にも孫にもしていません。一番肝心なことは、人間としてのあるべき道を親が生きるということが次への最高最大の教育だと思っております。
――いわゆる根本的な部分は何も変わらないということなんですね。
教主 そうですね。変えてはならぬものと、また変えなくてはならぬもの。その辺の峻別がキッチリしているとはっきりと見えてくるのではないでしょうか。
――では、いつの時代も“人のため、世のため”という精神は忘れずにということですね。
教主 それは本来の人間の生き方、あり方であって、そうすれば人皆そしてその人自身も幸せになれるのですが、それを逆にするものですから、わが手でわが首を絞めるようなことになって…。
――二十一世紀を迎えまして、相変わらず不況が続いていまして、さらに少年犯罪があったり、政治家の汚職があったりとか、そういった乱れた世の中になっているのですけれども、そのお話についてはまた後半に伺いたいと思うのですが、それではここで教主の“思い出の曲”をお聞かせいただきたいのですが……。
教主 『琵琶湖周航の歌』という旧制三高の寮歌ですね。私は新制ですから、現実にこの歌の世界に浸ったわけではありませんけれど、先輩から教わったものなのですが、私には忘れ難い歌なのです。
――具体的にはどんな思い出があるのでしょうか。
教主 私は、三高が母体となったといいますか京大の学生時代、しかもハンドボールという琵琶湖ならぬ陸で走りまわった生活だったわけですが、昭和三十一年に京大に入学しました。その年にメルボルンオリンピックがありまして、それに京大のボート、いわゆるエイトが出るべく国内の予選で勝ち進んでいきまして、決勝戦で、当時の言葉で言いますと一尺差で負けたのです。ところがその当時は写真判定がまだ採用されてなくて、人間が並んで採点するその向こう側で写真判定は予備的になされていたのですが、そこでは逆に三十センチ勝っていたわけです、そういう、彼らにとっては非常に不幸などん底の時期に京大に入りまして、私はハンドボールでしたけれど、入学早々に上級生のボート部の方に生まれて初めてボートに乗せてもらいまして、そこで彼らが歌うのを耳にしたのがこの歌なんです。私どもが高校時分から知っていた『琵琶湖周航の歌』は旧制高校の学生さんが、いわゆる高歌放吟するという歌としか思ってなかったのですけれども、あれは非常に哀調を帯びた、シンミリとした歌なんですね。しかもそういう背景の元にゆったりボートを流しながら歌う本人たちの歌を聞いたことは、これから大学生活を送ろうとしている、いわば光り輝いているような時にいただけに逆に私に重みを与えてくれるような時となりました。黒住教の教えに「難有り有り難し」ということを言いますが、難を有り難く受けるぐらいの広さと心のバネが大切だよと、それをまず身をもって先輩はこれから学生生活を送ろうとしていた私に教えてくれたような気がしています。
(女性の歌手による)『琵琶湖周航の歌』流れる。――
――さて、先程もお話をさせていただきました、「世の中乱れてるな」と思うのですけれど、教主はどのように感じていらっしゃいますか?
教主 これは、私なりのいわば独断と偏見かも分かりませんが、戦後がいまだに続いているような気がしてなりませんですね。世界の人類の歴史を見るとそれは“戦争の歴史”と言っても過言ではないわけです。ヨーロッパの歴史などを見ますと、先程の話ではないですが、戦争に負けるという難を逆にバネにしてしっかりとしたものになった国は次々あるように思います。日本もある面では伸びました。けれど一番肝心のところ、根っこのところを切ったままで伸びたのでは花が咲いてもあだ花です。それぞれの国・民族にはその特色があると思いますが、日本の培ってきた一つの特色は人間関係における縦のつながりだと思うんですね。いわば先輩と後輩、親と子、先生と生徒、会社でいえば上司と部下、そうした人間関係の縦軸というものがバラバラにされてしまって、では横の関係がそれだけできているかというとそれもできていない。私は半分冗談に言うのですが、IT化、 Information Technology の進歩によってますます世の中が進んでいくと思いますが、 “愛・低・下・”、愛が低下していくようなことでは困るわけで……。例えば、携帯電話を使ってなら話ができるけれど、面と向かっては話ができない、それなどは異常と言わざるをえませんよね。夫婦はもとより親子、そうした人間社会、人の間と書いての人間社会の一番最小単位が、いわば一家庭もそこのところで崩れているのではないか。いくら上を着飾ったところで砂上の楼閣となってしまうのではないか。その辺のところ、もう五十六年前になりますが敗戦を迎えて、何もかも、目に見えないものまで壊されてしまって、それにいまだに壊された、というよりも捨てたのをもってよしとしている考えが蔓延していることに問題があるように思えてなりません。
――そんな中で「どう生きればいいのかな……」と思うのですが……。
教主 それに本当に気付けば、人間生きているのですから必ず立ち上がっていきます。混沌の状態というのは何かが生み出るチャンスですから。人間生存の、存立の一番の根っこの大切さに気がつく人が必ず出てくるし、だからそこに気がついた人が切り開いていくと思いますから。彼らにとってはチャンスですね。混沌の時代は……。
――逆に今がチャンスと……。
教主 今がチャンスですね。困難な時でないとできないことがあるし、不況の時にこそ実力が発揮できる企業もあるのではないでしょうか。
――では、そこにいかに気がついて戦略を練っていくか……という、ここがポイントということですね。
教主 そう思います。『琵琶湖周航の歌』の六番に「語れ我が友、熱き心」という一条がありますが、この心で不況を乗り切っていただきたいと思います。友人にしても苦しいときの友が本当の友達ですからね。
――本当にいろいろなことが見えてきそうですね。それを考えると。
教主 そうですね。そこから生まれてきますよ。
――今週は黒住教第六代教主の黒住宗晴さんにお話を伺いました。いろいろ印象に残るお言葉をいただきましたが、中でも「難有り有り難し」。「難」というのは、困難の難の字ですけれど、難を有り難く受けるぐらいの「広さと心のバネ」が大切だということで。よく考えてみますと「有り難う」を漢字で書きますと「有る難(なん)」と書くのですね… …。時に、「あぁ困難な問題にぶつかっちゃったな……」と思ったら、ある意味、感謝した上で頑張る気持ちが必要なんですね。また、不況の時しかできないことがありますから、これをぜひ見つけていきたいと思います。
