近頃の若い者……
平成13年3月号掲載
古来、年を寄せたひとつの証のように、老人は、「近頃の若い者は……」に始まるぐちにも似た言葉でもって若い世代を批判してきたものです。私もかつてそう言われてきた時代を経て、今はそういう発言をする年代になってきました。
若者はいつも時代の風潮に敏感で、しかもその流れに流されやすくはありますが、また若者自身が時代の風をおこしていくところがあるものです。総じて私の若い頃の昭和三十年代の若者に共通していたのは政治に関心を持つ人の多かったこと、唯物的なものの見方をする傾向が強かったこと、打算的な合理的な生き方をする人の多い反面、虚無的なまた退廃的な道に足を踏み入れる人が多々あったことなど、生きようとする生命力の旺盛さとともにそれを否定するような生き方に身を置くことに快感を憶えるような人がよく見受けられたように思いおこされます。
このような私の二十代の時に比べて、今の若い人たちとの違いは大ざっぱに言って三つあるように思われます。
そのひとつは、今日の若者たちは自然を大切にするという意識が強いことです。私たちの場合は自然を大切にするどころか、自然の良さを改めて感じるような余裕もなかったのではないか、そういうことについてほとんど無関心ではなかったかと、今の若い人たちの自然とのつきあい方を見るにつけても、恥ずかしくなります。
そしてこれは最も違うところだと思いますが、今日の青年には霊性を尊ぶといいますか、魂の問題に関心のある人が多いことです。私の学生時代など、ある意味ではヒューマニズムの全盛の時と言ってもよく、人の情愛、人情を大切にし、またそうした心情にあこがれるようなところがありましたが、それは決して魂の問題にまで深められず、また霊性とか魂という言葉すら禁句のような状況でした。
さらに今の若い人たちに驚くところは、ボランティア精神が旺盛なことで、私たちの時代に比べてボランティア活動に素直に入っていける良さを持っていることです。このことは現代の良き習わしのひとつといえましょう。
このように自然の問題、魂の問題、そしてボランティアのこと三点に絞ってみましても、私は自分の若い時と比べてみて、到底、近頃の若い者は……とおこがましく言える者ではないのですが、基準を私の青年時代に置かず、わが親たちの世代に置いてみた時に、やはり今の若い者は……と言わざるをえない思いにかられます。
まずその自然観ですが、今や世界的な問題になっている環境問題のこともあって、自然に対する関心も高いのではないかと思います。しかし、自然との一体感を求めるという生き方の問題となるとどうでしょうか。わが先輩たちは農業はもとより漁業とか林業など第一次産業の中に身を置く人の多かった上に、今日のように機械に頼るところが少なかっただけに、自然と正面から取り組んで生きてきてそれだけに自然の素晴らしさ、尊さと同時に恐さ、すごさも熟知していたように思われます。こうした日々の体験が、つまるところは自然を征服するどころか、自然を理解し自然に従い、自然と共に生き、自然と一体になることこそ人間にとって至福の時という高いところを体験的に知っていたのではないかと思います。私自身は先輩方のような経験があるわけではありませんが、神道山に住まわせていただき、毎朝のお日の出を迎え拝む日々を重ねてきて二十七年、このところますます、わが親の世代はもとより先祖先輩方の生き方のすごさを感じずにはおれない毎日です。
次に霊性の問題ですが、これこそあまりにモノ、カネに傾きすぎた戦後五十余年の反動のように、二十一世紀こそは心の時代といわれる今日、この時代の風を若い人たちは敏感に感じ取っているのか、霊性に関心が強いようです。
しかしこのことも、わが霊、わが魂がひとり勝手に働いているものでなく、親あってこそ、先祖あってこその自分自身であるという人としての基本的なことが欠けたところでの霊性の問題になっているのではないかと危惧します。これは、現在、霊性の問題を強く表に打ち出して布教しているある新宗教の教祖の方のひとことですが、「霊の問題は子供が古井戸をのぞくようなものだ」というのがあります。かつては使い捨てられた古井戸があちこちにあったものですが、そこを子供がのぞくということは落ちたら命取りになるということで、足腰のしっかりしたおとな、すなわち人間としての素養をしっかりと身につけた人にして初めて霊の問題は取り組むことができるのであって、そうでなければ人間性がそこなわれ自分自身を喪失してしまうという忠告の一言なのです。
ボランティアの問題にいたっては私など完全に頭を下げざるをえないところで、私も二十代後半には重障児のための施設づくりにつとめてその意味も体験的に知ったものですが、それまでの私といいましたらボランティア活動(もっともその頃はこの言葉はなく社会奉仕と言われていました)をする人は変わり者程度にしか見ていませんでした。現実に、一人の身で三重四重の重い障害のある人のいることを知ったのが私自身のボランティア活動の直接の動機ではありましたが、今日の若者のように気軽にボランティア活動のできるような者ではありませんでした。それだけに、ボランティア活動が今日盛んになっていることは素晴らしいことだと思います。
と同時に思いますことは、ボランティア活動といわば看板を掲げての活動も大切ですが、実は本当のボランティア活動というのは、日頃のお互いの生活そのものにあることを忘れてはならないということです。それは、家庭内はもとより日常出会う人々への思いやり、相手をおもんぱかる心、相手の立場に立とうとする生き方です。いわゆるボランティア活動には参加してつとめても、案外、日常生活では自分さえよければそれでよいと周囲の人のことに心をくばることをしない人が増えてはいないでしょうか。あるアメリカの雑誌が日本の現代の若者を評して「FROM WE TO ME(我々から私へ)」と表現したようですが、それはいうまでもなく従来の日本人の集団主義から若者に増えている個人主義への転換を言っているのでしょうが、お互いが助け合い他のために真心を尽くすという生き方が消えて、悪い意味での個人主義、ミーイズムになっていないかという忠告としても聞かなくてはならないと思います。
つまるところは、今日の若い人にこそ、教祖神の御教えの「立ち向こう人の心は鏡なり己が姿を移してやみん」の御七カ条の止めの御歌と、「物を買う時は売り手の心になって買え」の生き方の大事を伝えていかなくてはならないと思うことです。
