皆様の教会所における“教祖神百五十年大祭”の斎行
平成13年1月号掲載
謹賀新年
昨秋の九回にわたりました教祖神百五十年大祭は、全国のお道づれの皆様の熱いお祈りと奉仕の真心のおかげで、いずれも無事盛大に斎行し終えることができました。
教祖神はもとより歴代管長教主のお喜びいかばかりかと拝察し、まずもって皆様に心から御礼を申し上げる次第であります。
神道山は正参道前広場の新設に始まり、「動く参道」の完成、いわゆるバリアフリーの参道・エレベーターの設置などで、ご年輩の方をはじめ身体の不自由な方にお参りしやすい霊地になりました。また、霊地大元には、懸案の祖霊殿が教祖記念館の奥庭に建築されるなど、本教ならではの皆様の真心が積み重ねられてめでたく大祭を迎えることができたのでした。
また一昨年の十月一日から一年間に区切って皆様とつとめた「一千万本のお祓い献読」は一千三百四十七万本余を数え、同じく一昨年五月から始まった“まるボラン”(まることボランティアの日)は、従来のそれが本部中心であったものが全教会所に広がってきたわけで、「祈りと奉仕」という宗教教団の基本を貫きつつ迎えることのできた教祖神百五十年大祭であったことを尊く有り難く思うことです。
その上、大祭斎行前の八月末、米・ニューヨークの国連本部に初めてアナン事務総長の呼びかけによって開催された“国連宗教サミット”では、この大祭を機に副教主就任の長男宗道が日本使節団の幹事長役を仰せつかり、このサミットの中では親子ともども主要な場を与えられるなど、ご神慮としか言いようのない有り難い体験を積むことができました。
このように、有形無形にしかも国の内外にわたって充実した時を重ねてこの大祭をお迎えすることのできたことを心から有り難く思います。
とりわけこのサミットでは学ぶところまことに大きく、今日に生きる一人の日本人としても考えさせられるところも次々とありました。
その最たるものは、世界の国際化がますます進み情報技術の進歩によって地球が狭くなればなるほど、民族の独自性、いわゆるアイデンティティー、その国の個性が尊ばれてきたことを実感したことです。このサミットに集まった九十余カ国、千人を超える人たちには、それぞれの歴史の上に立った民族性豊かな人たちが多かったですが、世界の平和というひとつの目標に向かって、お互いの違いを認め、さらにそれを尊び、そこに学んでゆこうとする寛大な心こそ二十一世紀を生きる人に求められているという共通の認識が伺われました。いわば“金太郎アメ”のようにどこを切っても金太郎さんの顔が出てくるような生き方では本当に生きたことにはならないわけで、それぞれの国がその風土・歴史にもとづく特性を発揮しながら、世界の平和という共通の目標で結ばれてゆくことの大切さを教えられました。これを個人でいうならば、それぞれが独自の個性を発揮しながら、日本人は日本人としての共通の目標、共通のしるしの元に世界の中で日本人としての特性を生かして生きてゆくことが二十一世紀に生きるということでありましょう。
ここで大切なのは、個人としての本当の個性です。それは勿論、自分さえよければよいといったような“わがまま”ではありません。このことは八年前の平成五年秋、私の教主就任二十年を記念して始めていただいた神道山緑化の植樹以来、その思いを一層強くしていることです。幼木ながらその生命線ともいえる根っ子、深根が切られていない苗木を植え続けてきて、それらが現在たくましく、しかも個性豊かに育っているのを見るにつけても、人間にとっての深根をないがしろにしてはその人生も危ういものになるとの思いを強くしてきたものです。折から平成十年秋に近畿地方を襲った台風で、多くの人工林がばたばたと倒れていった中で、世界遺産にもなった奈良県の春日山原始林では深根がしっかりしているために倒木は数えるほどしかなかったことを知りました。そしてまた、青少年による思いもかけない狂暴な犯罪の多発を見るにつけても、その人の深根は一体どうなっているのだろうかという思いで、深根の大切を思う心は一層つのりました。
人間における深根、それは親子の絆(きずな)に始まるその親、またその親という先祖との絆であり、連綿と連なる歴史であります。これが切られている、すなわち先祖がお粗末にされ、先輩の歩みきた時間が軽んじられているところにいわば諸悪の根元があると同時に、今日の日本人のもろさもあるのではないかと思うものです。
一昨年の秋、(株)林原が主催するその名も林原フォーラムで、山口大学学長で世界的な数学者の広中平祐先生が中心となって、全国の文化系理科系のそうそうたる学者方二十九名を岡山においでいただいて「時間と時」というテーマでシンポジウムが開催されました。その時のある文化人類学者の発表は、実に今日の時代に的を射た警告の発言でした。
「昔は、先祖があり自分があって子孫があるという時間的に長いスパーン(間隔)の中に生きる人が多かった。さらには、自分にとっての死とはいずれ子孫の中に生まれかわって来るという確信のもとに、子供のない人は養子を迎えてまでしてその家を大切にしてきた。しかし、文明が進むにつれて自分が生まれて死ぬまでだけが自分の時間だとする短い時間感覚の中に生きる人が多くなった」と、暗に先祖先輩を大切にしてきた道にこそ本当の日本人の生き方、永遠につながる道があることを示唆する講演をされました。
今日の日本人が、今最も取り戻さねばならない大切な生き方、それは古来の先祖崇拝、 “敬神崇祖”の心です。
教祖神百五十年大祭という、まさに“敬神崇祖”の心を具現した御祭りを有り難くつとめ終えた私たちは、これから四年間をかけて、教主の私と、副教主の長男とで手分けして皆様方の教会所に参り、教会所における教祖神百五十年大祭を執り行い、併せて皆様方のご先祖の御霊をその家宗のいかんを問わず教祖神とともに祀り拝ませていただく御祭りをつとめてゆきたいと願っています。それが、教祖神百五十年大祭を有り難く斎行させていただいたお互いの先祖先輩への報恩の道であり、また私たち親子のお道づれ皆様の真心に報いる道だと信ずるからです。
今度は、皆様方の教会所で、皆様にお目にかかるのを心から楽しみにしていることです。
