挨拶(あいさつ)二題   教主 黒住宗晴

平成14年11月号掲載

本誌別掲の通り、十月四日には東京の帝国ホテルにおいて、副教主様の東京支庁長・大教会所所長ご就任の“黒住宗道ご挨拶のつどい”が催され、教主様は各界の有識者をはじめ、その場に集った方々に御礼の挨拶を述べられました。
 また、来る十一月二十一日には第二十四回世界連邦平和促進全国宗教者東京大会が、増上寺において開催されますが、世界連邦日本宗教委員会の代表委員のお役を担われている教主様はこのほど挨拶文を寄せられました。同大会では、前国連大使の佐藤行雄氏が記念講演をされ、副教主様にはパネルディスカッションの司会をおつとめになります。(編集部)

《その一》

 先ほど本人が申し上げましたように、御ひと方ひとかたにご挨拶に上がるべきところを、公私ともご多端の皆様にお運びお集まりいただきまして、この集いの開くことのできましたこと、まことに有難うございます。私ども、本来、宗教は地下水のごとくあるべしと思っている者にとりまして、まことに晴れがましい所での会になりまして恐縮していることですが、前にも話がありましたように、この帝国ホテルのある内幸町一・一番地は、かつて本教の東京出張所があった所でございます。それゆえ、ここの場をお借りしての集いを開かせいただいたわけです。
 実は百四十年前の文久二年、明治維新の五年前ですが、教祖をまつるその名も宗忠神社が京都の吉田山神楽岡の地に鎮座いたしました。これは時の帝(みかど)、孝明天皇から宗忠大明神という神号を賜って創建され、しかも孝明様の仰せ出された唯一の勅願所にもなった神社でありました。今年六月、ご鎮座百四十年の祝祭を斎行したことですが、維新前夜の江戸時代最末期、蛤御門(はまぐりごもん)の変をはじめ公武合体に至るまで、まさに地下水のごとき働きがなされたようであります。
 ご維新なって都が東京に移ってから、明治新政府の執った宗教政策はきびしくもまた猫の目のようにくるくる変わるもので、教祖の孫三代宗篤は、本教の公認と布教の自由を得るべくここ東京にあって前後六年にわたって運動を続けました。それは孝明天皇のご信仰をかたじけなくしたこと、さらには後に維新の元勲と称えられる三條實美(さんじょうさねとみ)公などの信仰があったからできたことでしょうが、明治九年十月、他の神道教団に先がけていわゆる別派独立を果たすことができました。宗篤は、直ちに黒住教東京出張所をこの内幸町一・一・五の地に開設したのでした。
 ところで、これは私事にわたって恐縮ですが、昭和十八年五月、私は、先ほどご披露申し上げました吉備舞のひとつ「桜井の里」の正行(まさつら)役を、当時の宮家北白川家、今日のご当主は伊勢神宮の大宮司であられます、その御殿で演じさせていただきました。ご年輩の方はご存知の「青葉茂れる桜井の里のわたりの夕まぐれ……」の歌で有名な、後醍醐天皇に忠節を尽くして果てた楠木正成(まさしげ)正行父子の別れの場を舞踊化したものです。満六歳を前にした正行役の私は、なんとか無事に舞い終えたものの、子供ごころに緊張で疲れていたのでしょう、その晩泊まったこのホテルで、もちろん昔のライト設計の古い建物です、ここでオネショをしてしまいまして……。夢の中で気がついた時は、池の中でした。(笑い)今ではそんなことはないと思いますが、ベッドのクリーニング代金は五円だったようです。今の価格でいくらか分かりませんが、なかなかの大金だったらしく、父、先代の教主から“オネショする子供は多いが、一番高価なオネショをしたのはお前だろう”と冗談半分によく言われたものでした。
 そういう意味でも、きょうのこの集いがこの場所で持たれたことは、私には格別の思いがあるのです。さらには、きょう十月四日は、教祖宗忠の長男、二代宗信の祥月命日の日で、今朝その年祭をつとめてここに参じたことでありました。
 いたりませんが、教祖以来の精神、とりわけ二代三代の志を、時も変わり、人も変わった今日の世の中ですが、なんとか貫いてゆきたいと思っています。どうぞよろしくお力添え下さいますようお願い申し上げて御礼の挨拶といたします。


《その二》

 第二十四回の世界連邦平和促進全国宗教者東京大会が、芝の増上寺において開催されるに当たり、ひとことご挨拶申し上げます。
 わが国の歴史を振り返ってみても言えると思うのですが、ひとつの国が危機的な状況になった時には、よきにつけ悪しきにつけ民族意識、国家意識が強まり、急速に自国中心、閉鎖的な国風となり、しかもそれを支えるのが宗教であることは、洋の東西、古今を問わないのではないかと思われます。それどころか、国によっては、為政者(いせいしゃ)が人々のこの意識を利用して、民族、国家の統一をはかってきたのも歴史の物語るところです。
 新しい世紀を迎え世界的に宗教が期待されながら、反面、危険視あるいは疎(うと)ましく思われているのも、陥(おちい)りがちなこの自己中心性、閉鎖性(へいさせい)にあるのではないでしょうか。9・11テロは、世界中の人々に甚大な衝撃を与えましたが、就中(なかんずく)、二〇〇〇年八月、“ミレニアム宗教サミット”でニューヨークに集った世界の宗教者方は、一瞬、絶望にも似たショックで言葉を失われたのではないかと拝察します。しかし、心ある宗教者は直ちに立ち上がって世界の各地で様々な集いを開催され、祈り合い語り合ってきました。一宗教者の立場から申し上げるのはおこがましいかもしれませんが、今のところ、いわゆる“文明の衝突”を避けるのに多少なりとも寄与しているのではないかと思います。
 ところで、昔から「根をしめて風に従う柳かな」という警句が伝えられてきました。
 今日のわが国にあっては、根をしめるどころか、根なし草的で風に流されっぱなしの生き方が蔓延(まんえん)している一方、民族、宗教に閉じこもってしまって、風に従うべき柳の枝葉を持たぬ人々のこれまた世界になんと多いことでしょうか。一見、相反するかのような根と枝葉ですが、“ナショナル”という根がしっかり根づいていて、初めて国際社会という風に順応してゆける枝葉を持つ一本の木として“インターナショナル”たりうると信じます。
 「共に生きる」ために、今日の日本人宗教者に課せられた使命は実に重いものがあると認識しています。根なし草的な人々に根づいてもらうべく努めると同時に、それが「共に生きる」という、風に従う柳に育ってもらうよう努めなくてはならないのですから、責任は重大です。
 不敏、微力ではありますが、私どもも不断の努力を重ねてまいりたく存じております。