宗忠が生まれた黒住家は、先祖代々から今村宮(岡山市北区今)の神職として仕えていました。今村宮の主斎神が天照大御神であったため、宗忠は黒住教を立教する前に一度、伊勢神宮に参っていました。宗忠は黒住教立教後も参宮を続け、生涯で六度、伊勢神宮の神前に奉拝しています。 2代宗信のときには「伊勢千人参り」を斎行し、明治時代になって3代宗篤、4代宗子と親子二代にわたって「伊勢萬人参り」をつとめています。
このような伊勢神宮とのご神縁から、昭和48年(1973年)、第60回神宮式年遷宮(20年毎に伊勢神宮のすべての社殿を新しく造り替えて神座を還すこと)にて、古殿となった内宮の建築材を黒住教へ大量に下賜されました。折しも神道山大教殿の建築工事のさなかであり、御本殿はすべてこの神宮のご神木で設えることができました。このご神恩に報いるためにも、昭和59年(1984年)から第61回神宮式年遷宮に奉賛するべく10年間の献納を重ねました。その後、平成5年(1993年)に第61回の式年遷宮が終わった新宮へ、平成6年(1994年)に昭和55年(1980年)以来の「伊勢萬人参り」をつとめました。
そして、平成25年(2013年)の「第62回伊勢神宮式年遷宮」に、平成18年から教団をあげての奉賛活動につとめました。平成18〜19年(2006〜2007年)には御造営のための御用材を神宮境内に曳きいれる「お木曳行事」に、それぞれ約1,500名の道づれが参拝奉仕しました。また、平成25年8月には、新たに御造営なった内宮御正宮に、磨かれた白石を敷き詰める「お白石持行事」が執り行われ、約1,900名の道づれが参拝奉仕しました。新宮に御神体をお遷しする“遷御の儀”が10月2日には内宮、5日には外宮にて執り行われ、内宮には6代宗晴(当時教主)、7代宗道(当時副教主)、8代宗芳が、また外宮には宗忠神社宮司、黒住教教議会議長が正式参拝しました。殊に、内宮の“遷御の儀”への三代にわたる正式参拝者としての参列は過去に例がないといいます。