私の一冊

平成18年3月号掲載

岡山市に本社を置く山陽放送テレビ(TBS系列)が、制作する番組の「イブニングDonDon」に「私の一冊」というコーナーがあり、各界の有識者が心に残った本を紹介しています。今年初のこの「私の一冊」に教主様が取材を受けられ、一月十一日に放映されましたが、教主様はかつて対談されたこともある、九州大学医学部元教授で�心療内科�の草分け池見酉次郎(いけみゆうじろう)氏著の「肚(はら)もう一つの脳」(平成十年発行)を紹介されました。
以下に教主様のお話を掲載しますので、下腹を養うことの大事を改めて学びましょう。(編集部)

アナウンサー(以下アナ)
   「私の一冊」、きょうは黒住教六代教主、黒住宗晴さんです。
   明けましておめでとうございます。
教主 おめでとうございます。
アナ 新しい年が始まりましたね。
教主 いよいよです。
アナ 今年はどんな年にしたいと思われますか?
教主 そうですね、やはり人間は心があって、心を中心にした存在ですから、その心が、晴れ晴れ
   とした心で生きる人が一人でも多いことを願うのが、私どもの元旦からの祈りでした。
アナ 去年は子供を狙った犯罪などが多発して、心が病んでいる人が多いのかなという感じも
   受けたのですけども…。
教主 そうですね、やはりあまりにも目に見えるものに囚(とら)われすぎて、実は一番肝心
   な目に見えないところが疎(おろそ)かにされている、その一つの現れのような気もし
   ました。
アナ 心が大事とおっしゃられますけれども、その心の問題というのは、どうすれば皆が満足
   できますか?
教主 まあ、これはまさに何百年、何千年来の人間の課題ですが…。
   実はきょうは一冊の本ならぬ、三冊用意しているのです。(肚 もう一つの脳、心療内科、
   〈続〉心療内科)。人間の心を科学的な視点から追い求めていく、その代表的なのは心
   理学ですが、医学の面においてそれを重要視された方が、日本にかつておられましてね。
   池見酉次郎という…その名も「病は気からの医学」という心療内科の、今ではポピュラー
   になった名前ですが、ご自分自身この表題を付けて出版されています。昔から病は気か
   らと申しますし、病気になったらですね、�苦しいときの神頼み�とか、�祈れくすれ�
   と言いまして。祈りというのは宗教ですね。くすれというのは薬、医療、一般ではそう
   いうことが言葉となって生きていたわけですが、現実は医療の世界ではあまりにも肉
   体に目を付けすぎて、心の面が疎(おろそ)かになりすぎていたのではないかという反
   省があったのでしょうが、とにあれ、池見という内科の先生は人間を心を主とし身体が
   従とした、しかし深い相関関係に、一体的なものであるということを科学的に、医学的
   に確立された方です。この方が、七年前に亡くなられたのですが、最後に世に問われた
   のがこの「肚 もう一つの脳」という本です。脳は当たり前のことながら、頭の中にある
   わけですが、実は日本人は昔から、腹という言葉で人間の心の、しかも奥深いところを
   表現してきているのですね。一般的にも腹が立つとか、はらわたが煮えくりかえるとか
   いうように心の動きを腹という言葉で表していますが、特に、肚を鍛えるとか、あの人
   は肚ができている人だ、とかいうような言葉にもあるように、精神の奥深いところを
   �肚�という言葉で表してきたように思います。それを実は単なる言葉だけでなく、ま
   さに言葉という言葉の語源は言霊(ことだま)といわれますが、言葉に魂があるという
   ことを医学的に証明したと言ってもいい、「肚 もう一つの脳」という本なのです。宗教
   と科学、なにか相反する見方が長らくあったわけですが、同じ人間の関わる、しかも深
   いところで、命という尊い働きにおいて共通するところを求めるのが科学でもあり、宗
   教でもあるわけですから、そこのところをいわば統合させようとする先達として、池見
   先生の果たされた役割は非常に大きいと思っております。
アナ 黒住さん自身がその肚の鍛え方というのは、独自なものは?
教主 実はね、ここ神道山では今朝もそうですが、毎朝日の出を迎え拝(おろが)む日拝とい
   う祈りをつとめるのですが、その中心をなすのが、光を、お日の出の光ですね、光を飲
   み込む行(ぎょう)なのです。
アナ 飲み込むのですか。
教主 はい、水を飲むように。御陽気、陰気陽気の陽気でもありますが、大陽気、太陽の気で
   もありますけれども、『御陽気をいただきて下腹に納め、天地と共に気を養う』という
   のが、私たちの教えにありますが、まさにこの一言に表れているのです。物理的には空
   気が入っているのですが、精神的には明らかに御光りを飲んでいる。天地と一体になっ
   ていこうとする、いわば自然に溶け込んでいくような…。これはもう御馳走(ごちそう)
   ですよ。毎朝、朝の大御馳走をいただくとき、これが私たちの肚を養う最たるときですね。