肚(はら)を養う
平成18年2月号掲載
岡山に民間放送の一つとして昭和二十八年(一九五三)に開局したRSK山陽放送ラジオ(TBS系列)は、開局以来、毎年その元旦放送の第一声を五代宗和教主様の「新春を寿ぐ」との新年のご挨拶(あいさつ)から始めるのを恒例としていました。昭和四十八年に六代教主に就任された現教主様はその放送を受け継がれ、今年も昔と変わらぬ元日の午前五時から放送されました。
以下に、今年の元旦放送「新春を寿ぐ」を掲載いたします。 (編集部)
皆様、宗教というとどういう感じを持たれましょうか。実は、宗教という宗教には共通するところが数多くあるものです。中でも日本のどの宗教でも心がけるところのひとつに、いかに肚(はら)を養うかということがあります。
仏教の経文はもとより、私ども神道の祝詞(のりと)にしましても、その発する声は、肚から、すなわち下腹からの声が出だして一人前だといわれます。そういう意味では、声は出しませんが、座禅を組むということはまさに肚を養う場でありましょう。
古来、日本語はきわめて生命的な言語だといわれていますが、心の働きを表すのも身体の部位をもって表現することが多く、特に多いのは「ハラ」という言葉です。
心配することを「頭をゆわえる」「頭がいたい」とか、感動することを「胸が熱くなる」「胸を打つ」など、「アタマ」「ムネ」という身体の部位でもって心の働きを表現しますが、「ハラ」でもって言うのは数えきれません。「腹が立つ」「腹わたがにえくり返る」「断腸の思い」といった心の傷みから、「腹のきれいな」「肚の太い」「肚の座った」等々、ちょっと思いつくだけでも二十余りが浮かんできます。
今日の科学がいうところの心の座は、頭、脳にあることを否定するものではありませんが、そういう意味では、肚は、心の中の心である魂の座といえるのではないでしょうか。宗教という宗教が魂の存在、その働きを認め信じ、魂をいかに安んじ養うかがそれぞれの修行といえると思いますが、肚を養うことを大切にするということは魂を養うためといっても過言でないと思います。
今の世の中、健康に不安を持つ人が多いためか、健康のための様々な動きが盛んです。中でも私どもが喜ばしく思うことは、呼吸法の大事を説く人が次々とあることです。人間の数ある臓器の中で、自らの意志によってコントロールできるのは呼吸にかかわるものだけですから、呼吸を調えることによって心身を調えることが日常的になり生活化されるならば、素晴らしいことだと思います。呼吸法として共通に説かれるのが下腹で息をするといういわゆる腹式呼吸で、腰骨を立て下腹を前後させて呼吸すること、しかも、呼、すなわち息を口から吐くこと、特に時間をかけてゆっくり吐き切ることが強調されています。実はここに魂を養う道もあるわけで、一宗教者の立場から喜ばしく思うゆえんです。
このような肉体の健康法の実践が、心も健全に保ち、さらにその上に立って、魂を養うことにつながっていくことを期待することです。
実は数年前のことですが、人間が生来持つ免疫力、そのセンターは�小腸�であることをある専門家の方から教わり、感服し心から納得したことでした。胃ガンに始まって大腸ガン、直腸ガン、肝臓膵臓(すいぞう)のガン等、今日つきることなく耳にしますが、小腸ガンというのはあまり聞いたことがありません。小腸といえば、肚、下腹の中心をなす器官です。
とにかく、魂の座は同時に生命の�心棒�ともいえるところで、それが下腹にあることは間違いないようです。
宗教にこれまた共通するところは�祈り�と�奉仕�を大切にすることでしょうが、祈りは魂を養うときであり、祈りと同時進行になされるのは心の清浄、それは魂の器たる心の清め、祓いであります。奉仕は読んで字のごとく、神仏に仕え奉ることで、その心で人に社会にまごころを尽くすということです。そこに、ブーメランのようにぐるっとまわって返って来るものがあるのが奉仕の持つダイナミズムです。奉仕の汗のさわやかさ、人様に喜んでもらうところに生まれる喜びは、わが心を清め豊かにしてくれる力があり、魂を養ってくれるなによりの栄養素でありましょう。
とかく人間生活が無機質な、従って無感動なものになりがちな今の時代なればこそ、まずは健康法のひとつとしての呼吸法から始められたらいかがかと、会う人ごとにお勧めしている昨今です。そして同時に、一日に一度でも人様に喜んでいただけるようつとめられてはいかがでしょう、と申し上げていることです。そしてそれが、いずれ肚の座った、腹のきれいな、心あたたかい、その方自身の人間づくりになっていけばと願っていることです。
教祖宗忠神御神詠
心とはほかにはあらず天つちの有無(うむ)をはなれし中のいきもの(御歌一一〇号)
天つちの心のありか尋ぬればおのが心のうちにぞ有りける(御歌一八号)