よく生きること、よく死ぬこと

道ごころ 平成22年6月号掲載

 葬儀のありようが問われる今日、教主様には株式会社いのうえ社長・井上峰一氏と山陽新聞(4月25日付)の紙上鼎談(ていだん)を、山陽新聞社社長・越宗孝昌氏の司会のもとにつとめられました。
 今号の「道ごころ」には、この鼎談における教主様のご発言を掲載させていただきます。   (編集部)



 人の死を見送る葬送のあり方へ関心が高まっている。背景には現代人の生活環境や死生観の変化、宗教の形骸(けいがい)化などを指摘する声がある。そんな中、岡山県内葬祭業界トップの株式会社いのうえの井上峰一社長が得度し、在家僧侶になった。井上社長と黒住宗晴黒住教教主、越宗孝昌山陽新聞社社長が「よく生きること、よく死ぬこと」をテーマに、宗教、死生観、いのちなどについて話し合った。(文中敬称略)


●得度の決意

越宗: 井上社長は、得度され、玄皓(げんこう)禅士となられた。玄皓とは世の中の真実を輝かせるという意味と聞く。師である河野太通老大師はこの4月、臨済宗妙心寺派大本山妙心寺の管長、日本仏教会の会長に就任された。ご自身も還暦を迎え、自身の区切りという気持ちともうかがっている。

黒住: お寺の住職で葬祭業をされる人はいるだろうが、葬祭業主が僧籍に入ったのは初めてではないか。最近「葬式は、要らない」という本がベストセラーになったり、直葬や散骨が増えている。自己の命の本(もと)である家代々の人の尊厳が、こんなに粗末に扱われている時代はないのではないか。その時代に、葬儀という、人にとって非常に大切な時をお世話することを生業とする方が、宗教に一歩踏みいれたということは非常に意味がある。

●変わる宗教観

越宗: 葬儀をめぐっていろんな考えが出てきている。宗教観の変化がある。

黒住: なぜ葬儀はいらない、という時代になったか、大きく三つの理由がある。一つは敗戦。かつて米国の学者から「物量的には何もない日本との戦争は半年で片が付くと思っていたが、4年近くかかったのはなぜか」と問われた。親、先祖を敬う心が力の源泉だったが敗戦で失った。
 そして、急激な経済発展による都市化、国の構造が変わったこと、さらにわれわれが科学技術や文明の利器に囲まれ、生物としての本能的な力の一部を失ったことがある。
 宗教でいう魂があるのに、それを認めようとしない。無いけどあるものを、目に見えないから無いとする。亡くなった方は、形は無いけどいらっしゃるんだ、という思いが消え、ますます死に対しての見方が親や先祖たちと違ってきた。


●宗教者の使命

越宗: 葬儀、宗教が形骸化しているという指摘だと思う。そんな時代に宗教者の使命とは何だろうか。

黒住: 日本人が長年にわたって培ってきたものを、どうよみがえらせるか。それには、人が亡くなったときがチャンスだ。亡くなった方に対する思いが強ければ強いほど、その人は精神的なものに焦がれている。だから「私が死んだらお参りしてくれよ」と言う。みんな笑うが、家族だけでなく、みんなが集まり参り思いを込める。そこに亡くなった方と共に精神性を高める道がある。
 昨年、映画「おくりびと」がヒットした時に、太通老師は「われわれは届け人」と言われた。見事に成仏できる人は少ないから宗教者をはじめ皆が祈りを込め、飛行機に例えれば見事に離陸させる。葬儀に始まる一連の葬送儀礼は、そのためにある。そこに祈りが伴うことがどれだけ大切か。忘れられている。


●よく生きる、よく死ぬとは

越宗: よりよく生きていくことが、人生の最大の目標ならば、「よく生きる」というのはどういうことか導くのが宗教の役割だろう。

黒住: 三木清という哲学者と、フランスのパスカルが同じことを言っている。「人間にとって死とはなにか。死は新たな出発。よりよき出発ができるように、常日ごろから心掛けていきたい」。死んだら終わりだと思って生きてきて、死が新たな出発だったら、取り返しの付かないことになる。よりよく生きるためにはどうあるべきか。まさに「人となるの道が神となるの道」が宗教の務めだ。
 単純だが、真理は「人は人に尽くして人となる」。それが今は自分中心。そこを解き放って、「人に尽くして人となる」という、よりよき循環、ま・る・こ・と・をいかに世の中に広げていくかが重要だ。

越宗: よく生きて生を全うしたときが、「よく死ぬ」ということになる。よく死んだ人には、これまたそれにふさわしい送り方がある。そこで儀礼文化が出てくる。

黒住: 神道では告別詞には一つのパターンがある。亡くなった人を悲しむところから始まり、次にその人の良いところをたたえる。そして、仏教で言う引導を渡すように説教する。黒住教の信者には家宗が仏教の人もあるため、「教会所で所長と心を通わせるように、家宗のお寺のお坊さんとも心を通わせよう。あなたが亡くなった時、涙ながらに読経してくれるお坊さんになってもらおう」と言う。

井上: お寺は檀家に支えられている。日ごろからかかわりを持ち、故人はこんな人だったと説法できる宗教者がどんどん出てほしい。そうすれば、檀家との関係が非常に身近になる。……

黒住: 仏教の7回忌や神道の5年祭などでは亡くなった人の事を、食事し酒を酌み交わしながらそれぞれ話す。大人は飲み食いに一生懸命であまり聞いていないが、故人の孫とか曽孫が一番熱心に聞く。本当に大切な教育の場でもある。


●これから

越宗: 株式会社いのうえは今年創業97周年、3年後に100周年、黒住教も4年後に立教200年という大きな節目を迎える。

黒住: 神道山に移って40年目が、ちょうど立教200年。この地には、一に感動の日の出を求めてきた。日の出を拝むところに黒住教の立教があり、ここに、国名を日の本といい、日の丸を国旗とする古来の日本人の根っこがある。守るべき、大切にあがめるべきは、命の本。命の本を尊ぶところに、命が守られ育てられていく。