いのち
平成22年2月号掲載
先月号で既報の通り、過ぐる11月27日、山陽新聞社「さん太ホール」を会場に本教担当による第29回世界連邦岡山県宗教者大会が開催され、筑波大学名誉教授で遺伝子研究の世界的権威である村上和雄氏が「いのち」と題して基調講演をつとめられました。
その基調講演を受けて、「いのち」をテーマに村上氏と綾部市長(世界連邦宣言自治体全国協議会会長)の四方八洲男氏、町田市病院事業管理者(元サンデー毎日編集長)の四方洋氏、そして教主様によるパネルディスカッションが、日本ユニセフ協会大阪支部副会長(元毎日新聞社西部本社代表)の古野喜政氏の司会で行われました。今号の「道ごころ」には同パネルディスカッションにおける教主様のご発言の要旨を掲載します。 (編集部)
古野: 自分の今まで生きてきた中で、“生きている”というか、きょうのテーマの「いのち」を実感したことをお話しいただきたい。
教主: 立場上、息を引き取るような人、あるいはお医者さんからサジを投げられた人、そういう方に接するたびに感じるのは、その中に燃えている「いのち」です。命に関(かか)わるような病気は、その人を非常に高めてくれると思います。また、今朝のお日の出は本当に感動的でした。今朝のようなお日の出を迎えた時は、すべての物に「いのち」を感じて石ころとも話ができるような、良い意味の錯覚に陥ります。“今、地球が生まれた”といったような感覚に浸りますが、お日の出のあの瞬間は完全に“天動説”ですね。
古野: 黒住教の教祖は日の出を拝んでいる時に、太陽、お日様がバッと身体に入ってきたということですが…。
教主: お日様に顕現されるというか、村上先生が仰(おっ)しゃられる“サムシング・グレート”でしょうね。
村上: いつでも感動があるのですか?
教主: はい。いつもありますが、寒い時は格別です。寒さが厳しければ厳しいほど、お日の出の感動は大きいですね。今の世の中、マイナスを切ればプラスになるという、まさに錯覚をしていると思います。先程の命に関わるような病気をはじめ、難を有り難くいただいた人と接していると、先生お話しの遺伝子がオン(ON)になって自分自身でも気付かぬものが生まれてきているように感じます。
古野: 今日、非正規労働者が3割4割といわれていますが、人と人との繋(つな)がりが壊れてきたように思いますが。
教主: 今の世の中と逆のことを言って、女性から叱(しか)られるかもしれませんが、“女性”は増えましたが、“おふくろ”が少なくなってはいないでしょうか。その辺に遠因を見ざるをえないのです。数年前、私の女房の妹に初めて孫が誕生しました。男の子でしたが、「おめでとう何グラム?」と聞くと「分からない」と言うのです。おかしいなと思ったら、分らないはずです。生まれたての赤ちゃんをそのままお腹(なか)の上に乗せたのです。四、五十分間、赤ちゃんはゴソゴソしていたようですが、やがて目をカッと見開いて這(は)い上がってきて、お母ちゃんの左のおっぱいに吸い付いたのです。その瞬間、若い母親は「よくぞ生まれてきてくれた」と大感激し涙、涙となりました。その二日後くらいに産湯を初めて使ったということです。今の世の中、母と子という最も基本的な人間関係に邪魔(じゃま)物が入ってきていますが、それをこの若い夫婦は、その絆(きずな)を何としてもしっかりと築こうとしたのです。今日、親と子、母と子の絆が極めて希薄になっているのが現実です。それが諸悪の根源になっていると思います。
古野: 大切なのは宗教だと思いますが、その宗教に対する関心の度合いが、アメリカ、イギリス、韓国に比べると日本は非常に低いのです。だいたい似たようなのがフランスですが、これをどう考えたらいいですか。
教主: 宗教者はかくあるべしと言われた時に、私、教主という立場にある者が果たして宗教者の最たる者かなということをいつも思います。心ある人が里親制度に参加して、わが家に他人の子供を引き取って、わが子のように育てられていますが、その中には宗教者が次々といます。このような精神が宗教者としてもっとも基本的なものだと思います。それを忘れたら世間から疎んじられると思います。
古野: 黒住教は社会奉仕につとめられていますが、日本の場合、宗教が社会貢献に繋がっているのかなという疑問がよく湧(わ)くのですが、どうお考えですか。
教主: 最も反宗教的なものを出せと言われたら宗教団体だったというようなことにならないように、いつも自戒しています。結局この問は、“我”の問題だと思います。我執を断つとか、自己犠牲とか、個人にはそういうものを求めながら、宗教団体として“宗我(宗教の我)”に囚(とら)われていたら、世の人々は皆冷めてしまいます。
村上: 私は、心を変えたら遺伝子の働きのオン(ON)とオフ(OFF)が変わると言っていますが、心を変えることによって、人間は進化できる可能性があると思っています。
教主: 本当にそう思います。特に今の子供たち、これからの日本人に“敬う心”を持ってもらいたいと思います。それはわれわれの親や先祖が大切にしていた心で、人間だけに与えられたというか、人間の最も人間らしい心だと思います。今日、学校の先生を敬う心を生徒がどれだけ持っているか、また親が先生を敬っているか。お医者さんが患者さんに患者様と言って、患者さんはお医者様と言わない時代ですから。われわれ宗教者は敬われる立場にありますが、敬われるだけのものを常に自分に求めているかと問い続けています。
古野: 最後にひと言お願いします。
教主: 私は若い頃から有り難いことに、良き恩師というか先輩に恵まれてきています。昭和天皇のお側(そば)に付かれたことのある、ある方から終戦直後の昭和20年9月27日の昭和天皇と連合軍最高司令長官のマッカーサー元帥とのご会見の様子を、まだ世の中に出る前の学生時代に伺いました。マッカーサー元帥とすると、命乞(ご)いに来たと思った天皇という日本の王様が、その丸反対で「戦争の責任はすべて自分にある」と言われ、「飢え苦しんでいる国民に一刻も早く食料を」と、そして「you may hang me(ユー メイ ハング ミー」、“自分を絞首刑に”とまで仰しゃられたとのことでした。何故(なぜ)、天皇陛下はそう言うことができるのかと尋ねた時に、その方は「天皇は即位されて間もなしに、大嘗祭(だいじょうさい)という御祭りをつとめられる。これは神秘の祈りの時だ。それは伊勢神宮に鎮まる御神霊を天皇御自らに神迎えする時だ。その鎮まった御神霊を天皇魂という。また国民は大御心と崇(あが)めてきた」と教えて下さいました。また、「一人の娘がいるとする。娘は狼に追い掛けられたら逃げるだろうが、その娘がひとたび母親になったら、自分の命を捨ててでもわが子を守ろうとする。その親心を大きくしたところが、天皇の大御心だ。その大御心の成せるところであって、それは天皇の個人的な人格を越えた働きなのだ」ということを聞きまして、なんと日本という国は凄(すご)い、いわばお宝をいただいているものと感動しました。日本国の源を教えられた思いがしましたが、きょうは「いのち」がテーマですが、“国のいのち”があるとするならば、わが国の「いのち」はそこにあるのではないかという思いを強くしています。