教主様、喜寿祝寿、ご就任40年
道ごころ 平成25年10月号掲載
昭和48年(1973)10月14日、第六代教主に就任されてから早40年の歳月が流れました。ご就任になった翌49年に、本教は有り難い神道山時代を迎え今日(こんにち)に至っていますが、教主様はその先頭にお立ち下さり、御日拝を元とする“祈りの誠”と、世のため人のためにお役に立つべく“奉仕の誠”を捧(ささ)げ尽くしてこられています。
ご就任40年に当たり、教主様にお話をお伺いしましたので、今号の「道ごころ」に掲載させていただきます。 (編集部)
教主ご就任40年、また喜寿をお迎えになり、心よりお祝い申し上げますとともに厚く御礼を申し上げます。この40年間、私たち道づれを様々(さまざま)な面においてご教導下さってきていますが、教団活動の上で、お心に残ることをお聞かせ下さい。
教主 まず喜寿という数えて77の歳を、皆様がお祝い下さることに厚く御礼申し上げます。実は、教祖神以来私で六代、喜寿を迎えたのは初めてのことでして、まことにおおけなくも勿体(もったい)なく有り難い極みです。これはいつに、父五代様のおかげです。ご自身が弱い身であられましただけに、私が中学生の頃から度々口にされたことは「身体を鍛えろ」ということで、健康第一に育てられたおかげです。
教主の座にあること40年というのも六代にして初めてのことでして、これはまたお道づれの皆様が、至らない私でも“教主様”と仰ぎ見て下さってきたおかげです。もちろん教祖神を戴(いただ)く教主という立場ゆえのことですが、それにしましてもお道づれの皆様の私に注がれるまなざしの数々、これが私にとっては感動でして、教主たらしめて下さっている所以(ゆえん)です。その上に立って、日々神道山の御日拝を重ねることができているのです。活動というより、“日拝行(ぎょう)”、これこそ教主としての私の日々の源(みなもと)です。
対社会的にも“福祉外交”(注1)、“文化外交”(注2)、“宗際(しゅうさい)活動”(注3)、さらには様々なボランティアによる“福祉活動”等々、社会のお役に立つ宗教教団の構築に向けて、教団の先頭に立っておつとめ下さってきましたが、そのお心のうちをお教え下さい。
教主 本教には、宗教教団がその教団のための教団に終始することは厳に慎みたい、との思いが伝統としてあります。個人における「我を離れよ」「誠を取り外すな」の御教(み おし)えを、教団としても忘れてはならないということです。おかげで様々な社会活動を多くの方々が理解してご協力下さり、また相手様に受け入れていただき、そして共につとめるお道づれの皆様がお喜び下さっていることを、心から有り難く思っています。
教主様は教団外からの要請も受けて次々と大きなお役を担われていますが、道づれの一人として心より有り難く誇りに思っています。
教主 このことは幼い頃からの両親の思いでもありましたが、特に若い時、岡山出身で東京在住の財界の方々が押し出して下さって、4カ月間の世界旅行を夫婦でさせてもらったことが私にとって大きな元となっています。この時に染み込んだ、この方々の期待を裏切ってはならないという思いです。
また、かつて青年連盟の諸君と共につとめた“重障児運動”(注4)に数え切れない人々が協力して下さったこと、さらには神道山のご遷座に際して157名の地主の方たちが「黒住教のためなら」と快く10万坪の土地を提供して下さったことなど、本教に対する世の中の人々の信頼と期待に応えなくてはならないという責務のようなものが、私の原動力になっています。
教主様には、教団の節目の大御祭りを迎える上で、「教区道づれ大会」(昭和53年から55年)、「教区道づれ研修大会」(同56年から58年)、「ご告諭推進大会」(同60年から62年)、さらには「私たちの教会所における『教祖神百五十年大祭』」(平成13年から16年まで)、「ありがとうございます推進・祈りの集い」(平成18年から22年)、そして現在の「立教二百年奉祝推進・祈りの集い」(平成23年から26年)と、全国各地の教会所をご巡教下さいました。その思い出をお話しいただきたいと思います。
教主 本教には教祖神以来のひとつの誇るべき行動パターンがあります。それは、自ら現場に足を運び「祈り、説き、取り次ぐ」という活動です。教団というひとつの枠の中のことですが、数々の節目の度に第一線の教会所に出向く機会を作ってもらいました。同じお道づれでも、本部でお会いするのとはまた違った味わい深い交流を重ねてまいりました。皆様の前に立つ私を見つめて下さる熱い両のまなこ、直会(なお らい)の時のまさに心通う時間は、私の最高の喜びの時です。これからも、身体の許すかぎり続けていきたいと思っています。
前回の第六十一回伊勢神宮式年遷宮(平成5年)からこの度の第六十二回式年遷宮に、本教は“ありがとうございます運動”を通してご奉賛につとめきましたが、教主様のお伊勢様に対するお気持ちをお話し下さい。
教主 私たち黒住教のお道づれは、基本的に教祖神の御瀬踏(みせぶみ)に従うすなわち御手振(みてぶ)りにならうことが常に求められています。毎朝の御日拝、そして御七カ条の実践はその基本の中の基本です。そういう中で、教祖神のなされたことで時代を超えた御手振りの最たることが、お伊勢様への想(おも)いです。
神風や伊勢とこことはへだつれど心は宮の内にこそ在れの御神詠に表れる御心の実践です。それは同時に、特に今日の時代に生きる者として、世に言う日本人としてのアイデンティティーは実にお伊勢様にあるということを、お道づれの皆様が強く自覚されていることを尊く思っています。
最後に、来秋に迫る「立教二百年大祝祭」についてお話しいただきたいと思います。
教主 過日、備前焼の二人の秀(すぐ)れた作家が、若い作家や学生さんを連れて神道山に参り、折から宝物館で開催中の「古備前展」を鑑賞されました。折角(せっかく)だからと一つひとつ手にとって味わってもらいましたが、この時の作家方、若い人たちの驚きと感動は私の思いもかけないことで、嬉(うれ)しくもあり、また大きく反省させられるところとなりました。
これらの焼き物を、本教黒住教に置き換えたとき、どれだけ私たちは御日拝、御陽気をいただくことなどをはじめ本教の尊くも価値あることを独(ひと)り占めにしているか、宝の持ちぐされにしてはいないかという強い思いでした。
もっと広く多くの方にお伝えする、知ってもらう、手に取り身に付け実践していただくための努力の再出発が、立教二百年大祝祭であらねばとの思いを強くしています。
(注1)
福祉外交-タイ、シンガポール、フィリピン、韓国など東南アジアの福祉施設で働く人を岡山の総合医療福祉施設「旭川荘」に招いて、福祉の勉強をしてもらう活動。
(注2)
文化外交-ニュージーランド・カンタベリー博物館、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州立美術館、アメリカ・ポーク美術館などに、本教に委託(い たく)された人間国宝をはじめ日本の現代陶芸作家の作品を寄贈し、日本の文化を理解してもらうようにつとめきた活動。
(注3)
宗際活動-いろいろな宗教が、宗派、教派の垣根を越えて共に平和活動、社会活動などを行うこと。
(注4)
重障児運動-昭和40年(1965)、黒住教青年連盟(当時の青年連盟長は教主様)の若者たちを中心に展開した、一人の身で三重四重の重い障がいのある重症(じゅう しょう)心身(しん しん)障(しょう)がい児(じ)のための施設を岡山に造る運動。昭和42年4月、現在の旭川荘療育・医療センター(旧称・旭川児童院)として結実した。
教主就任四十年・喜寿記念
教主様著作集「道ごころ」第七集 10月1日に発刊!
教主様は長年にわたり毎月、本稿のごとくその名も「道ごころ」と題して、折々に感激感動また感謝なさったことに触れて、教祖神の御心(道ごころ)を私たち道づれにご教示下さってきています。この第7集には、この「道ごころ」や黒住教通信講座発行の「道のひかり」に執筆されたものが収録されています。また、一人でも多くの方にお読みいただくべく、この第7集の編纂(へんさん)につとめられた、教主様ご令弟の黒住忠篤名誉宮司様のご配慮による、本教独特の言葉や難しい語の「註釈」が巻末に添えられています。
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