農業に学ぶ

道ごころ 平成25年5月号掲載

 過日、森谷英憲(もりたに ひでのり)という方が神道山に参拝、私をお訪ね下さいました。農業の振興に少しでも役立ちたい一心から、お若い頃は農業大学校の主任教授として学生と起居を共にしながら精励し、さらに校長もつとめ、終えて今は農業にいそしみつつ多くの農家の指導に当たられている方です。
 お話の中での、力を失いつつある農村が蘇(よみがえ)るためには三つの“もの”が必要というひと言にまず感じ入りました。
 それは“よそもの”であり、“バカもの”、そして“若もの”ということです。
 傍目(おかめ)八目(はちもく)という言葉がありますが、その集団の中にいたのでは見えないもの分からないものが第三者の立場にいるとよく分かるということで、実に、不調に陥(おちい)って活力がなくなっている集団を外から見て、その集団独自の良さを見い出して忠告してくれる“よそもの”が大切ということです。それは同時に、当事者たちが、そういう人の声を聞く耳を持つことが必須で、とかく閉ざされてかたくなになっていたのでは折角(せっかく)の“よそもの”の忠言も役に立ちません。己(おのれ)の置かれた状況の厳しさの認識、いわば危機意識こそ“よそもの”の声に耳を傾けさす元といえましょう。
 さて、“よそもの”の意見を受け入れ納得できたら、ひたすらその実践に励む活力ある人が求められます。人が何と言おうとこれはこの集団のためになることと信じたら、周囲の人々を説得しつつも、アホウになってひたすら努める“バカもの”が要(い)るということです。
 すると必ず若い人たちの心に火がついて、その“バカもの”の周りに“若もの”が集まり出し、事は前に進み出すと言われます。
 その好例として、「ヒメノモチ」という独特のうまみのある餅を作り出している新庄村にご案内下さいました。
 岡山県の最北西部の鳥取県に接する真庭郡新庄村は、古くは後鳥羽上皇や後醍醐天皇が隠岐島(おきのしま)に配流された時にお通りになった地であり、後に「出雲街道」の宿場町として栄えた由緒(ゆいしょ)ある所です。古い家並みの街道には、明治38年(1905)の日露戦争の勝利を祝って植えられた桜が、その名も“がいせん桜”と言われて観光の名所ともなっています。
 去る4月11日、がいせん桜もそろそろ見頃と、森谷氏にご案内いただいて中国横断の岡山道を北上して蒜山(ひるぜん)のインターチェンジを降りたところ、周囲は雪景色で、さらに新庄村への長いトンネルを抜けるとそこはボタン雪が激しく降る「雪国」という小説のような世界でした。
 人口一千人足らずの小さな村ながら、村役場を中心に小学校中学校をはじめ様々(さまざま)な施設が整った、家庭でいうならば“スープの冷めない距離”の中に人々が生活していることが伺える温かな雰囲気の村でした。標高500メートルの高地にある、この地ならではの稲作が生んだヒメノモチであることを教えられました。
 昼と夜の温度差が大きいため、日中ご陽光を得て培われた稲のデンプンが夜の寒さに閉じ込められてお米の“うまみ”が失われないこと。岡山県内のブナ林の三分の二はこの新庄村にあるという、保水性の高いブナの原生林からの絶えることのない豊かな清流。そして、肉用牛の酪農で得る有機堆肥(たいひ)の活用。しかも、代々営々としてつとめてきた農家の人たちの朴訥(ぼくとつ)で誠実な人間性と農業技術。
 このような好条件に着目して実践した結果、ねばりがあり、きめが細かくうまみのあるヒメノモチが誕生したわけです。
 都市住民との交流を目的とした“特別村民制度”によってヒメノモチが高く評価され、村では第3セクターを設立して製造販売の道も確立し、今では“株式会社新庄村”ともいえる発展ぶりです。
 こうして“よそもの”の忠告を受け入れたこの村には、都会での仕事を切り上げて帰って来てしゃにむにつとめる若い人、村役場にはヒメノモチを中心に産業振興に没頭する人など、“バカもの”“若もの”が次々といらっしゃいました。この方たちの目の輝き、物言いの歯切れの良さに胸熱くなりました。
 帰りの車の中で森谷さんはしみじみと語って下さいました。「茶道華道また柔道空手道というように“農の道”があるのです。ここでは人間の根気が養われます。作物はもとより土からも慈(いつく)しみの心が養われます。作物が今何を欲しているか。土が何をしてもらいたいと思っているかが分かるようになるのです」。
 折からの降雪で冬景色の棚田はじっと耐えているように見えました。ここに大地の土そのものが鍛えられて力をつけているのだとさえ感じました。
 「しかも、ここでは農家は昔ながらに互いに助け合っています。昔、それを結(ゆい)と言いました」。
 結=ゆい。美しい言葉です。むすび、むすぶ。むす、すなわち生むということです。日本語の美しさ、その言葉が生きている人々の心の美しさを見る思いがしました。ここ新庄村でははるかな昔から日本人が大切にしていた心が、まさに足を地につけた農業として生きていて、更に産業、商業となっていることに感銘を深くしました。
 とともに、今日(こんにち)まで各地の教会所に参拝して数多くのお道づれにお会いし、とりわけ数々の農家の方々にお目にかかって伺ってきた話が、再現するビデオのように私の中で蘇ってきました。
 ある老農夫が語ったひと言です。「稲刈りが終わった田んぼの、片隅一尺(30センチ)四方を刈り取らずに残しておくのです。その昔、籾(もみ)を運んでくれた鳥へのお礼です」。
 またある農家の婦人は「冷夏で稲が全く育たなかったとき、教会所に参ってご祈念していただき御神水を沢山(たくさん)頂戴して、お祓いを上げながら田んぼに毎日注ぎましたらおかげで実りの秋を迎えました」。
 心和み、私自身が大地にしっかりと立つことのできた一日でした。