「宗教協力」二題

平成24年2月号掲載

 本誌先月号で既報の通り、昨年11月29日、神道山・大教殿において、宗旨宗派の垣根を越えて世界大和を祈る第33回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会が開催されました。教主様には、同大会において大会長のお役を担ってつとめられましたが、大会カタログにも挨拶(あいさつ)文をご寄稿になりました。また、教主様は、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の理事をお務めになっていて、過日発行された同委員会の会報に一文を寄せられました。
 今号の「道ごころ」には、この二つの「宗教協力」ご寄稿文を併せて掲載します。 (編集部)

「大会長挨拶」
   第33回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会 大会カタログより

 この度、第33回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会が開催されるに当たり、私どもの教団本部を会場にしていただきましたことを心から光栄に存じております。更に、昭和63年以来23年ぶりの岡山大会に、全国各地からお運び下さりご参加の先生方に深く敬意を表する次第です。
 私どもは37年前の昭和49年に、立教以来160年の本部大元から古来「吉備の中山」と称されています山の一角、その名も神道山と言われてきた地に遷(うつ)り上がってまいりました。教祖宗忠の立教の時であります、感動の日の出を求めての遷座でした。
 この吉備の中山は、古代吉備王国の時代からの神奈備山(かむなびやま)で備前備中の国境に位置し、吉備津彦、吉備津の両神社をはじめ寺院が数々鎮まられていまして、いわば信仰の山として今に続く歴史を有しています。
 これは歴史上の一説にすぎないかもしれませんが、古代吉備国は、東の大和、西の出雲の両古代大国のかけ橋役を身を挺(てい)して果たしたともいわれています。
 23年前の岡山大会の年は、折しも瀬戸大橋が完成したこともあって大会のテーマは「世界の諸宗教に平和のかけ橋を」が掲げられていました。
 先だって私は縁あって大分県国東市にあります重光葵(まもる)元外務大臣の墓前に参り、その記念館を訪ねました。ご高承のごとく、重光氏は昭和20年9月に先の大戦の終戦の文書に、ミズーリ号の戦艦上で日本代表として署名された方ですが、昭和31年12月、わが国の国連加盟に際し国連本部で堂々たる演説をされた方でもあります。その演説は「日本は東西のかけ橋となる」でした。重光記念館でその原稿を拝読して、世界連邦をめざす私たちの心構えを再認識させられたことでした。またそこには、次のような重光氏直筆の短歌も添えられていました。
 日の本の意気を吐くべく国連乃(の)大會議場(かいぎじょう)に我今日(きょう)は立ちた里(り)本大会に集われる先生方、皆様と共にこのような大目標に向かって一層共働してまいりたく願い祈ることです。

 「大御心の為すところ」
   世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会会報 第384号より

 3月11日に始まる大惨事に際し、全国民と言っても過言でない厖大(ぼうだい)な数の人々、また私たち宗教者お互いが、胸傷み、揺れ動き、居ても立ってもおれない思いで立ち上がって、夫々(それぞれ)の立場でつとめてまいりました。
 とりわけ、天皇陛下には、お初めてのことでしょうが、5日後の3月16日、ビデオテレビを通じてご心中を吐露されましたが、その御姿、御言葉の一語々々に被災した方々は胸打たれ、また多くの国民が胸熱くなりました。そして、4月14日から5週続けて皇后陛下と共に被災地にお立ちになって、身失せた方々に祈りを捧(ささ)げられ、避難所では被災者の前に両膝ついて話を聞き、慰めの御言葉をかけられました。
 テレビ画面に映し出される両陛下に、誰もが涙こぼれる思いになりました。また、被災した方々の顔に笑みが浮かび、さらにはご案内役の各県の知事さんの、それまでの厳しい表情が消えて穏やかな顔つきになっているのに驚いたことでした。
 ちょうどその頃、50年前の学生時代、学生運動のリーダーだった友人に会いました。開口一番、彼の口から両陛下の御姿に感動したとの言葉があり、続いて彼は「かつて天皇の戦争責任を声高にしていた自分が、なぜこんなに感動するのだろう……」と呟(つぶや)きました。
 彼もやはり日本人なんだと、心の中で首肯した私でしたが、言われてみて改めて思いは巡りました。
 天皇陛下が即位されますと、大嘗祭(だいじょうさい)という伊勢神宮のご神霊を御身に神迎えする神秘の御祭りを斎行されますが、私はこの御祭りこそ、日本人の信仰の基なすところではないかと思っています。陛下ご自身の奥深くに神迎えされるご神霊こそ、天皇魂すなわち大御心であり、その時から陛下のご日常は、この大御心をお養いになることに終始すると拝察いたします。
 この大御心がこのような国民の危機的な時に湧き出(い)でて、私たち国民に見えてくるのではないでしょうか。それは、あたかもわが子の危急に際して自らの命を捨ててでも助けようとする親ごころにも似て、いやこの親ごころを大きくしたところにあるのが、天皇陛下の大御心と申し上げることができるのではないかと愚考いたします。
 避難所の人々に仰せの「よくぞ生きていて下さいました」こそ、大御心の為(な)すところと感じ入ったことでした。