お伊勢様の式年遷宮(しきねんせんぐう)

道ごころ 平成25年2月号掲載

昭和38年(1953)、岡山市に開局したRSK山陽放送ラジオは、開局以来毎年、その元旦放送の第一声として、五代宗和教主様の「新春を寿(ことほ)ぐ」とのご挨拶(あいさつ)を放送するのを恒例としていました。同49年(1974)からは現教主様が同放送を受け継がれ、40回目となる今年も昔と同じ時間帯(午前5時)に放送されました。今号の「道ごころ」には今年の元旦放送「新春を寿ぐ」を紹介します。

 今年、平成25年は、伊勢神宮の式年遷宮という、20年に一度の大御祭りが執り行われる年ということを、皆様ご存じでしょうか。伊勢神宮のことはご存じだと思いますが、昔からお伊勢様、お伊勢さんと国民に敬われ慕われている伊勢神宮は、三重県のその名も伊勢市に鎮座(ちんざ)されていまして、電車で参るなら新幹線を京都で乗り換えて近鉄特急で約2時間、名古屋から1時間20分のところです。
 ここに神宮が誕生してすでに2000年を超えていますが、1300年前の昔から、内宮(ないくう)外宮(げくう)と称される二つの本殿をはじめ、125もの別宮(べつみや)といわれる神社をすべて、20年に一度造り替える式年遷宮という大作業が営々と積み重ねられて現代に至っています。これは世界にも例のないわが国最古にして最大の御祭りで、今年10月にその本祭典が執り行われます。
 ということは、20年前の平成5年に新しくできた本殿に神様がお遷(うつ)りになった、すなわち遷宮されて、程なく今回の御祭りのための準備が始まり、今年の夏頃には新しい神殿が完成して、秋10月に、古い神殿から新しい神殿に御神体を遷す遷宮祭が執り行われるのです。しかもこの御祭りのトップ、最高位の方は、岡山の池田家に、皇室から嫁がれて61年になる池田厚子様が祭主としておつとめになります。
 この20年に一度の大聖業にかかる膨大な費用は、今日(こんにち)は全国民からの募財、寄進でなされていますが、戦前は国費で賄(まかな)われ、さらに昔は時の為政者(いせいしゃ)が責任を持ってつとめていました。
 とはいえ、20年で建物を解体すると聞きますと、築20年の建物は古いとは言えないのではないかと思う人もありましょうし、もっと耐用年数の長い建物にすべきだとの声も聞こえますが、式年遷宮はそれらとは次元が全く違うことなのです。
 式年遷宮は、大御神様の御神威を20年ごとに新たにいただいていこうとする祈り、信仰のさせるものであり、その先人の心を心として連綿と続けられて62回を数えているのです。
しかも、この解(と)かれた建築材は決して無駄にされることはありません。内宮外宮の大きな棟(むね)を支えていた丸太の棟持(むなもち)柱(ばしら)は、神宮境内(けいだい)に入るところの宇治橋(うじばし)の内と外との大きな鳥居(とりい)になり、それまでのこの2つの鳥居は、昔から伊勢街道と呼ばれる伊勢神宮に通じる道にある鳥居に変わり、それまでの2つの鳥居 ということは前々回、昭和48年のご遷宮で古材となったもの は、その近辺の神社の修理修繕に供(きょう)されるということで、他の古材も全国の神社の新築や修築に使われて、極端に言って“つまようじ”一本も無駄にしない形で昔から活用されています。
 そういう中で、本教黒住教は、39年前の昭和49年秋、現在の神道山にそれまでの大元から遷り上がる時、大教殿という神殿の新築に、昭和48年の式年遷宮で古殿となった内宮の古材を大量に賜って、その主要な部分を造ることができたのです。これは、宗忠教祖以来の江戸時代、明治、大正、昭和、平成と、お伊勢様との有形無形にいただいて来たご縁 まさにご神縁あればこそのことであります。まことに有り難いことで、私どもが少々ご奉賛申し上げたからこれでよしとできるものではありません。この受けたご恩 神恩を決して忘れることのない宗教教団であらねばならないと思っています。
 そういう中で、本教黒住教は、39年前の昭和49年秋、現在の神道山にそれまでの大元から遷り上がる時、大教殿という神殿の新築に、昭和48年の式年遷宮で古殿となった内宮の古材を大量に賜って、その主要な部分を造ることができたのです。これは、宗忠教祖以来の江戸時代、明治、大正、昭和、平成と、お伊勢様との有形無形にいただいて来たご縁 まさにご神縁あればこそのことであります。まことに有り難いことで、私どもが少々ご奉賛申し上げたからこれでよしとできるものではありません。この受けたご恩 神恩を決して忘れることのない宗教教団であらねばならないと思っています。
 とりわけ今上(きんじょう)陛下(へいか)、今の天皇陛下で125代を数える皇室にあられましては、先帝(せんてい)、すなわち前の天皇陛下が崩御(ほうぎょ)、亡くなられますと、皇太子殿下が即位(そくい)されますが、程なく大嘗祭(だいじょうさい)という天皇陛下「一聖一代(いっせいいちだい)」の大御祭りをつとめられます。そのために新しく造られた簡素ながら神々しい大嘗宮に、4日4晩こもり切って祈りに徹せられる御祭りです。今の陛下ももちろんおつとめになっていまして、それは伊勢神宮に鎮まります天照大御神のご神霊を陛下の御心に祈り迎える神秘の御祭りで、その時鎮まったご神霊を天皇霊と申し上げ、広く国民は大御心(おおみこころ)と崇(あが)めてまいりました。
 この御心は、たとえてみますと、子供を持つ親ごころに例えられましょう。一人の娘がいるとしますと、狼(おおかみ)に追い掛けられると当然逃げるでしょうが、ひとたび母親になりますと、もちろんその赤ちゃんを抱いて逃げるでしょうが、いざこれまでとなると、わが身を捨てて、わが命に代えてでもその子をかばい、守ろうとするものです。それは、人格的には全く同じ女性が、ひとたび母親になるとその心に生まれてくる親ごころがなせる行為だといえましょう。天皇霊、大御心は、この親ごころを大きくした存在といえると思います。
 もう68年も以前のことですが、昭和20年8月15日の終戦後間もなく、昭和天皇は、戦勝国のマッカーサー連合軍最高司令長官をお訪ねになりました。命乞いに来たと思っていたマッカーサーの思いとは丸反対に、食べ物がなくて飢え苦しんでいる国民に一日も早く食糧を与えてほしいと訴えられ、そして戦争のすべての責任は自分にある、自分を絞首刑にしなさい、とまで言われています。これは、まさにこの大御心のなせるところでありましょう。
 近くは一昨年の大震災に際し、天皇陛下は皇后陛下と共に5週続けて被災地においでになって、避難している人々に「よくぞ生きていて下さいました」とその真情を吐露されています。「よくぞ生きていて下さいました」。これは他人に言う言葉ではありません。親が子に言う言葉です。そうなのです。わが国日本は、天皇陛下という大きな親と、子たる国民の間に通い合う温かいものが満ちた国柄なのです。その大元をなすのが伊勢神宮であり、伊勢の20年に一度の式年遷宮は、国民にこの親ごころをよみがえらす大御祭りでもあるのです。
 このひととせ、陛下の大御心に思いをはせ、自らの親ごころを養って、より心豊かな人生を送る人の多からんことを祈ります。