岡山の宗教 ー神道概説を中心にー①

平成21年1月号掲載

謹賀新年

 世の中が便利に、そして楽になって「あたりまえ」が増えました。不可能が可能になり、不便が便利に、そして迅速に楽に行えるようになったことを、安易に「あたりまえ」と片付けてしまうのは要注意です。「あたりまえ」が増えると、不平や不満も同時に増えるからです。
 「有ることが難しい」すなわち「滅多(めった)にない」と思うから「有り難い」わけで、「あたりまえ」と「ありがとう」は反対言葉です。
 世界的な経済危機の時代に、現実離れの楽観論を唱えるつもりはありませんが、日本の社会は今も変わらず多くの面でとても恵まれています。「あたりまえ」ではなく「おかげさま」だと、現代人に訴え続けなければならないと強く感じています。かつて「あたりまえ」であった、人間としての最低限の倫理・道徳観さえも失墜している昨今ですから…。
 恒例により、老舗(しにせ)の宗教新聞である中外日報に掲載された年頭の挨拶(あいさつ)を紹介いたしました。「ありがとうなる」という本教ならではの御教えのもと、本年も「ありがとうございます推進・祈りの集い」を教主様と“手分け”をして全国各地の教会所でつとめさせていただきますので、一人でも多くの方を誘(いざな)ってご参拝下さいますよう、お願い申し上げます。
 今月号から数回に分けて、昨年11月に私が講師をつとめた「吉備文化を楽しむ会」の月例会での講演を紹介いたします。この会は、岡山の文化や歴史に関心の深い産官学(経済界・公務員・教 育界)の有志の方々による勉強会で、毎回会員が輪番で講師をつとめています。岡山経済同友会教育問題委員会の一員として出席させていただいている私に与えられたテーマは、「岡山の宗教-神道概説を中心に-」でした。

 皆様、こんばんは。いつも楽しみに参加させていただいておりますが、今回は私に「岡山の宗教」について話すようにとのことで、お時間を頂戴(ちょうだい)しました。実は、ちょうど1年前に開催された「第19回全国生涯学習フェスティバル『まなびピア岡山2007』」の記念フォーラムで、就実大学前学長の柴田一名誉教授が、「教育県岡山・宗教県岡山の謎を解く」というテーマで行われた講演を拝聴しておりましたので、その時の内容を通して「岡山の宗教」を概観した後、黒住教について、神道について、そして伊勢神宮式年遷宮についてお話ししたいと思います。
 「宗教県岡山」と言われる理由として柴田先生が指摘されたのは、まず宗教家の輩出ということでした。吉備、また備前と備中を含めて、岡山から他国に出て、すなわち全国区で活躍なさった宗祖・開祖と呼ばれる方として、浄土宗宗祖の法然、臨済宗の栄西、同じく臨済宗永源寺派開祖の寂室元光(じゃくしつげんこう)、また禅宗の画僧であった雪舟がいらっしゃいます。一方、地元に密着する形で教祖として活躍されたのが黒住教の黒住宗忠と金光教の金光大神です。
 黒住宗忠は備前岡山藩出身であり、金光大神は岡山藩とは姻戚(いんせき)関係であった鴨方藩の出身でした。特に岡山県が宗教県と言われるイメージ形成に大きく影響を与えているのは、こうした宗祖・教祖の出身地であったということと同時に、備前岡山藩の藩祖池田光政の神道政策と、幕末の民衆の悲願の現れともいえる信仰的熱意によるものであろうというのが、柴田先生の結論でした。
 すなわち、江戸時代初期に池田光政の神道政策において保護と弾圧がなされて、由緒ある氏神を大切に祀(まつ)るとともに、迷神(まよいがみ)の拠(よ)り所としての淫祀(いんし)・邪教の徹底的な整理統合が行われました。11,000社あったものが1,000社にまで統廃合されたとのことです。当時としても公(おおやけ)が人々の信仰、宗教に手を下すというのはかなり勇気の要(い)ることだった訳(わけ)ですが、それが果敢に実行されたことへの指摘がなされました。【つづく】