岡山の宗教 ー神道概説を中心にー③

平成21年3月号掲載

 神道のあらましと伊勢神宮の式年遷宮についてお話ししたいと思います。
 日本社会に米作りが始まったのは3,000年ほど昔のことといわれます。それまでの狩猟・採集による縄文時代の末期に伝来した米作りによって、人々の生活習慣が根本から変わり始めました。まず定住化が進み、人々は田作りから始まる長期にわたる労働に協力して取り組むようになりました。ここに人々は、狩猟・採集に追われていた頃には想像できなかった、米という高カロリーで長期保存が可能な主食を得、さらに定住して勤める共同作業から生まれるルール遵守(じゅんしゅ)によって、初めて村落という安定した平安な時と場所を得ました。事実、その頃から日本列島の人口が爆発的に増加しています。
 狩猟・採集の不安定な時代の後に安定した農耕社会が成立するという現象は歴史的に世界各地で見られることで、何も日本だけの特異な事例ではありません。しかし、幸いにしてわが国が地理的・気候風土的に非常に恵まれた環境にあったことは、結果的に米作りによって想像以上の変化を人々に与えたようです。穏(おだ)やかな自然に恵まれた日本の四季折々の美しさは広く世界に知られることですが、古来日本人にとって自然は脅威や恐怖の対象ではなく命の恵みをもたらす母親のような存在でした。
 稲作の普及によって安定した生活を得た私たちの先祖は、一粒の米が秋には数百倍になるという、一粒の米のもつ“いのち”の不思議さに素朴ながら敬虔(けいけん)な心を抱き、その米を育てる大地や水や風やその他すべてのもののはたらきに、とりわけそれら一切の源(みなもと)としての太陽のはたらきに純粋率直に頭(こうべ)を垂(た)れたものと考えられます。ここに神道が始まるのです。神道は、神の恵みに感謝する宗教であり、神と人との間に温かい心の通じ合う信仰なのです。
 一神教を基本的な考え方とする欧米社会では「宗教には教祖と教典と教義が必要」なのだそうですが、人々の生活の中で生まれ育った自然宗教という側面が神道の特徴ですから、元来神道には教義も教典も、いわんや教祖も存在しません。『日本書紀』や『古事記』はあくまで神話・風土記で、教典とは言えません。しかし、遥(はる)か太古から人々は神への祈りと祭祀(さいし)を中心に神道の伝統的信仰を守ってきました。それは、現在も変わることなくつとめられています。全国各地の神社での日々の祈りはもちろんのこと、大都会の中心に超高層ビルが建設される際も古式に基づく神事から始まりますし、最先端の技術を誇るオフィスに、例えばコンピューターや車をつかさどる神をまつる神棚が設(しつら)えられていたりします。古来日本人が、世の中のすべてのはたらきに神(いのち)の存在を認めてきた「八百萬神(やおよろずのかみ)信仰」は、今も脈々と息づいているのです。そもそも“God=神”と訳されたことに無理があったのかもしれませんが、果たして神道は“宗教(レリジョン[religion])”なのかという議論もあるのです。ただ、信仰であることは確かです。日頃信心とは程遠い生活をしていると思われがちな現代人も、正月には初詣(はつもうで)をしないと新年を迎えた気がしませんし、たとえ神道式でなくても結婚は神への誓いの儀式ですし、盆には大挙して故郷に帰り先祖参りをします。もっとも、日本人は家宗が仏教の人が多く、盆といえば仏教行事のように考えている人が今も多いのですが、徳川幕府の寺請(てらうけ)制度の結果、もともと神道的伝統であった先祖崇拝が仏式の先祖供養という形になったといわれます。
 地縁・血縁が薄らいできた現代でも、氏神をまつる神社ほど数多い宗教施設はありません。遥か昔の共同体意識、村意識からの伝統は今も受け継がれている訳(わけ)で、例えば、今村宮の宮司様は今も今村さんですが、今村宮は今村家だけの氏神ではなく、氏子皆さんにとっての氏神です。その延長上に、日本人すべての総氏神として伊勢神宮、正式には「神宮」が鎮座しているのです。
 その伊勢神宮が20年に1回、すべての宮社が隣接する敷地に寸分違(たが)わず新たに建て替えられ作り替えられます。来る平成25年に執行されるのが第62回、戦国時代に100年ばかり途絶えていましたから、実に1,300年以上の昔から連綿として受け継がれてきたわが国最大にして最高の神道神事です。すべてというのは、皇大(こうたい)神宮(内宮(ないくう))と豊受大(とようけだい)神宮(外宮(げくう))の正宮(しょうぐう)に所属する123を数える別宮、摂社、末社、所管社まで含めた合計125社のことで、それらが約10年かけて建て替えられるのです。20年毎(ごと)に神威が発揚され、昔のままのお社(やしろ)が新たに蘇(よみがえ)る大御祭りが式年遷宮なのです。
 実は、内宮と外宮の遷宮を頂点として10年がかりで執り行われた式年遷宮の終了を、神宮の大宮司と少宮司が天皇陛下に奏上すると、陛下からねぎらいのお言葉とともに「次の遷宮を宜(よろ)しく…」という趣旨のお言葉があるのだそうです。その時から、また10年を要する次への準備が始まるとのことですから、実質的には古式にのっとった伝統行事は絶え間なく続いていると言えます。因(ちな)みに、20年毎というのが絶妙な時間で、平均的に一生の間に3回遷宮に奉仕できることで、伝統技術の伝承が確実に行われてきました。神宝と称される最高技術の結晶も、親から子へ、師匠から弟子へと受け継がれながら、当代きっての芸術家、名工による日本の技の粋が供えられ継承されるのです。
 ところで、伊勢神宮について語る以上、皇室と神宮が表裏一体をなす存在であるということを話しておかなければなりません。
 天皇陛下のご即位に際して、即位の礼が執り行われることはマスコミ等を通じて知られるところですが、実は大嘗祭(だいじょうさい)という最も重要な神事が必ず行われます。宮中の然(しか)るべき場所に、伊勢神宮の方角に向かって特別に設えられた大嘗宮という神殿で、即位された天皇が古式にのっとって定められた期日におつとめになる厳粛な神道神事です。この御祭りを通して、伊勢神宮に鎮まる御神霊を迎え天皇霊(大御心)として身に体されて、いよいよ天皇陛下としてお立ちになるのです。20年に1回の伊勢神宮の式年遷宮は、神徳が発揚され蘇る、いわば“大発電”の時であり、大嘗祭というのは天皇陛下の一聖一代の“大充電”の時と理解することができます。
伊勢神宮では年間を通じて数多くの神事が行われますが、中でも最も大切な神事は10月20日前後に斎行される神嘗祭(かんなめさい)です。その1カ月後の11月23日に、今は「勤労感謝の日」と呼ばれますが、宮中における最重要神事である新嘗祭(にいなめさい)が三権の長の臨席の下に執り行われます。いわば小発電と小充電の時です。式年遷宮が行われた年には神嘗祭は行われませんし、大嘗祭が行われた年には新嘗祭は行われないという事実からしても、毎年の神嘗祭と新嘗祭という小発電と小充電、そして20年に1回の式年遷宮と一聖一代の大嘗祭というのは、連綿と受け継がれてきたわが国の揺るぎない根幹なのです。
 以上、まず岡山の宗教の概説と黒住教について紹介させていただき、とりわけ私たちにとっての神道の存在、そして総氏神である伊勢神宮と式年遷宮について、最近の言い方をすれば日本人のアイデンティティーと言っていい〝根っこ〟の上に、わが国の文化と歴史があることをお話しいたしまた。
最後に、来る第62回式年遷宮への奉賛依頼が皆様の会社・職場に届きましたら、〝負担金〟としてではなく、遷宮の意味合いを理解していただいて、1人五百円でも千円でも構いませんから、私たちの総氏神様へのお供えとして、皆様で奉賛していただけるように呼び掛けていただきたいと思います。
 ご清聴、有り難うございました。【了】