教祖様との“繋(つな)ぎ手”になろう
平成21年7月号掲載
早いもので、今年も後半に入りました。お道づれの皆様には、昨年からの二年間にわたる本教の修行目標「お導きいただいて二百年深めよう、教祖様とのご神縁」の締めくくりの半年になります。明年からの二年間(平成22~23年)が「お導きいただいて二百年広めよう、教祖様とのご神縁」、そして立教二百年の前年までの二年間(24~25年)が「お導きいただいて二百年強めよう、教祖様とのご神縁」と、教祖様との“ご神縁むすび”を前面に掲げた修行目標がすでに発表されていますが、平成26年の立教二百年大祝祭に向かって、お道づれ各位と心を一つに誠を尽くしたいと願っています。
本誌今月号の「御教えをいただく」で、「奥村圓左衛門氏の開眼」という有り難い御逸話(ごいつわ)が紹介されていますが、氏が三年間欠かさず参拝を始める切っ掛けとなった“ある人”の勧めを見落としてはいけません。すべての御逸話から、こうした“ある人”の存在が読み取れるわけではありませんが、尊い霊験談を拝読する際、教祖様とおかげを受けた方とを結びつけた“繋ぎ手”を意識して学んで下さい。
赤木忠春高弟の入信の切っ掛けとなった有名な御逸話に欠かせないのは、高弟の叔父とも従(いとこ)弟とも言われる西村斉助氏の存在です。将来を期待されて赤木家の養子として迎えられた先生が22歳から8年間の盲目に呻吟(しんぎん)する姿を見かねて、教祖様を訪ねることを強く勧めたのが西村氏でした。「今さら、惑わされたくない…」と渋る赤木先生に、「勘当(かんどう)」とまで激昂(げっこう)して導いた氏の身内なればこその熱い思いが伝わってきます。一度のお説教で開眼のおかげをいただいた赤木高弟と教祖様の固き師弟の絆(きずな)が生まれたそもそもの切っ掛けが、西村氏の熱意であったことを心に刻みたいものです。
また、今まで数え切れないほどのお道づれが心の支えとしてきた「この左京を師と慕う者を見殺しにはせぬ」という教祖様のお言葉が発せられたときの御逸話にも、“ある人”の存在が欠かせません。中野屋庄兵衛という篤信の方が危篤に陥(おちい)った際、「途中で死んでも構わないから…」と教祖様直々の祈りを切望した庄兵衛さんの願いを叶(かな)えるべく、駕籠(かご)を雇(やと)って教祖様のもとに向かう道中に彼は息絶えてしまいました。「残念ながら仕方がない」と引き返そうとする付き添いの中に、ただ一人「あれほど望んだのだから、教祖様のご意見を聞いてこよう」と言って、自ら一っ走り教祖様のもとに駈(か)けつけた人がいました。「連れてきなさい」との力強いお言葉をいただいて、名高い霊験談として語り継がれる尊いおかげが顕(あらわ)れるのですが、“ある人”の熱意なくしてありえなかった奇跡です。
その他、江戸時代の当時、最も恐れられていたライ病(ハンセン病)の患者が教祖様のお取り次ぎによって完治したという感動的な話も、世捨て人となって岡山に流れ着いた患者にいたわりの言葉を掛けて教祖様のもとを訪ねるように勧めた人の存在なしに語れません。さらには、後にお道の発展に寄与された直門の先生方にも、元はといえば教祖様とのご縁を結んで下さった方がいらっしゃることは明らかです。
教祖様ご在世当時でも、こうした陰の“繋ぎ手”が欠かせないことを思うとき、立教二百年の大きな節目に向かって歩みを進める本教が、「教祖様とのご神縁」を繰り返して呼び掛けることの意味を、お道づれの皆様に深く理解していただきたく存じます。とりわけ、家族構成や社会の仕組みが変わり、親子の絆や地縁・血縁の薄れが顕著な時代なればこそ、今まで以上に強く意識して教祖様とのご縁を繋ぐことを心がけて下さい。本誌今月号で案内された「御(み)しるし」は、離れて暮らすお子さんやお孫さんと、教祖様、そしてご先祖様との絆を深める新たな“手立て”です。今年の修行目標のもと、この半年で行き渡るように、お取り次ぎの程よろしくお願いいたします。
