“当たり前”になったダライ・ラマ法王の来日

平成22年12月号掲載

 ご存じの方も多いかもしれませんが、先月12日から数日間、広島市で「ノーベル平和賞受賞者サミット」という国際会議が開かれ、かつて神道山・大教殿に参拝されたチベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世法王も、出席者の一人として来日されました。それは、尖閣(せんかく)諸島をめぐる問題で日中間の緊張が高まる中、中国の胡錦濤(こきんとう)国家主席がアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のために来日した時期と重なったこともあり、非常にマスコミの注目を集めた来日となりました。
 実は、無事に全日程を終えて法王が離日されたとの報告を受けて、私は感慨一入(ひとしお)の思いでおります。
 15年前、終戦50年の平成7年(1995)。それまでの11年間は、外交上の理由により入国さえも叶(かな)わなかったダライ・ラマ14世でした。法王の来日を悲願とする有志の方々からの熱心な依頼を、宗教協力の実践と位置付けて身元引受教団になった本教の現場責任者として、私は外務省への説明、警護体制の確認、マスコミ対策等、極めて貴重な実務体験を積ませていただきました。しかもその年は、1月17日に起こった阪神・淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件をはじめとする犯罪が続発した大変な年でしたが、3月29日から1週間の、ダライ・ラマの11年ぶりの来日が遂に現実のものになったのでした。
 亡命政府であるチベットを所轄する日本の官庁が外務省アジア局中国課(当時)ということからも容易に想像できることですが、滞日中「できるだけ中国政府に刺激を与えないように…」というのが身元引受人である私への国からの非公式な要望事項でした。その一方で、チベットの関係者からは中国域内での厳しい現状を何とか人々に広く知ってもらいたいという思いが強く、いくつもの微妙な決断を迫られた、私にとって緊張の連続の一週間でした。
 近年は毎年のように来日できるようになり、特に今年などは6月の善光寺(長野県)参拝に続く二度目の来日です。日中関係がとても微妙な時期にもかかわらず問題なく入国でき、しかも滞在中にマスコミの取材に応じて自由を規制する中国政府の体制に対して明確な批判のメッセージまで発信して、無事に離日されたのです。諸外国と同様に、今やダライ・ラマの入出国が当たり前になったことは、私にとって感慨一入なのです。
 来日が“当たり前”になるにつれて、法王にお会いする機会も少なくなっていましたが、大使館に相当する「ダライ・ラマ法王日本代表部」から招きがあったので、去る11月11日に広島市内で行われた講演会に出掛けました。「法王様にぜひ会って下さい」と言われて楽しみにはしていましたが、何の連絡もないままに講演会が始まってしまい、遠目に目礼するにとどまるものと思っていたところ、あろうことか講演会の最後に驚きのアナウンスが場内に繰り返して流れました。「黒住教のムネミチ様。ステージ上にお越し下さい!」
 正面中央の階段を駆け上がろうかとも思いましたが、二千余名の聴衆にとって奇異に映る行為だと咄嗟(とっさ)に考え、ステージ袖から舞台裏に上がって、楽屋に戻った法王に久しぶりにお目に掛かりました。来日さえもが困難であった頃に支援させていただいた本教に対する感謝の表れを、改めて強く感じた再会でした。
 老婆心ながら一言付け加えさせていただきますが、私はダライ・ラマ法王との親交の深さが中国批判に直結するものではないと信じています。あくまでも人と人とのご神縁を重んじるが故の信頼の交流です。家内がお役に立たせていただいている中国人の留学生の支援も、私にとっては楽しみな交流の場の一つです。中国人留学生に、ダライ・ラマ法王のお人柄を伝えたいとは、心中密かに思ってはいますが…。
 末筆ながら、平和への取り組みに関して、御礼と報告を申し上げます。本誌5月号の「神道山からの風便り」でお道づれ各位の協力をお願いした「共にすべてのいのちを守るためのキャンペーンARMS DOWN!(アームズダウン)」という署名運動ですが、本教からは4、153名の署名を主催団体である世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会事務局に届けました。ご協力いただいた方々に、本誌上を借りて心より御礼申し上げます。なお、通知によると世界各国から2000万人を超す署名が集められ、去る10月4日に国連事務総長に目録が届けられたそうです。改めて、世界の大和(たいわ)を祈念するものです。