いかし上手に有り難く
平成23年2月号掲載
あらゆる存在やはたらきを八百萬神(やおよろずのかみ)と称(たた)え、その親神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)の広大無辺なる神徳は誰にも分け隔てなく与えられているという世界観は、私たちにとって多様性の尊重と共生・共栄、そして相互扶助の精神の大原則です。人と人、国と国、また人とその他の生命との関わり合いの基(もとい)になるべき心情は、誠実さであり純粋に相手を慮(おもんばか)る思いやりの心です。
とりわけ、私たちは「道はいっさいいかすこと第一」、「何事もいかし上手になれ」という教祖黒住宗忠の教えに基づき、“いかす(生かす・活かす)心”で人に社会に誠を尽くすことを生き方の基本として重んじています。
いつの時代も、私たちは当面する様々な現実問題に対して否定的に対応するのではなく、前向きにすべてを受け止めて、その特長・美徳を生成発展させる、“いかし上手”のイカシタ人生を押し開いて行きたいものです。
冒頭に、老舗(しにせ)の宗教専門紙「中外日報」に「いかし上手に」と題して寄稿した今年の年頭所感を掲載させていただきました。例年、依頼を受けて一文を届けるのが慣例になっていますが、今年は「時代を切り開くために」という“課題(テーマ)”が与えられました。
「私たちは明日への期待を抱きながら、まだ確たる未来図を描けないまま模索を続けています。新しい時代を切り開くためには、失敗を恐れず行動する勇気や、既成の形を打ち破る大胆な挑戦も必要ではないでしょうか。
『時代を切り開く』ための指針やご提言を…」という執筆依頼文を読みながら、私は、「新たな明日への期待」という昨年の“課題”を思い出していました。
まるで極楽浄土を来世に求めるかのような“課題”に何とも言えない違和感を覚えた私は、「今日という日への感謝」という題名で昨年の年頭所感を送りました。タイミングを逸して紹介できておりませんでしたので、この場で掲載させていただくことをお許し下さい。
私たち黒住教では、毎朝の日の出を拝む「日拝(にっぱい)」を、最も大切な祈りとして重んじています。東天に昇る朝日に顕現(けんげん)される天地自然の親神に報恩の誠を捧げて、世界大和(たいわ)と万民(ばんみん)和楽を祈念します。同じ太陽ですが一日として同じ日の出はなく、今日(きょう)という日が今誕生したと感じられる、実に新鮮な感謝と感動の毎日です。
その至福の時は、自分が自然の一部であることと、大いなるはたらきの中で生かされて生きていることを、理屈抜きで実感できるひと時です。気が付くと、下腹のどこか深いところから熱いものがぐんぐん漲(みなぎ)ってきて、活力が湧いてきます。
千年紀(ミレニアム)といって世界が熱狂して迎えた“新たな時代”も10年が経過しました。「このままではいけない…」と思うことの多い昨今ですが、毎日を感謝と感動の心で迎える人が多くなると、世の中はきっと好転すると信じます。今日という日への感謝によって、新たな“明るい日”が迎えられると期待するものです。
現実から目をそらして「新たな明日」を期待しても“明るい日”は迎えられません。「現在只今(ただいま)の有り難きことを取り外すことなく、日々の祈りを捧(ささ)げて誠を尽くすことによってこそ、より良き結果という“おかげ”は必ずいただけると確信できるのが、黒住教信仰の真骨頂」と信じて送った昨年の年頭所感でした。
このことを踏まえた上での、冒頭の今年の所感です。すべてに感謝のできる強く逞(たくま)しい心を養うための第一歩として、「いかし上手に有り難く」ともに開運の道を歩んでまいりましょう。
「何事もいかし上手になるときは
有り難きことばかりなりけり」
(星島良平高弟詠)