天照らす神のみ内に住みながら われと魔道へおつるあわれさ(御歌3号)
はずれたる人の誠をとがめずと 己が誠を人に尽くせよ(伝御神詠)

平成21年9月号掲載

「教祖様の御逸話(ごいつわ)」(河本一止著・日新社発行)の第一話から第四話、すなわち「お家へ火をつけた者のためにお祈り」、「追剥(おいはぎ)にお約束の金を」、「同じ金を二度お払い」、「横領の冤罪(えんざい)を甘んじてお受けになる」は、数ある御逸話の中でもとりわけ教祖様の崇高な御手振りを学ばせていただける御逸話です。世間の常識というか一般人の知恵や計らいを全く超越した至誠のご言動は、誠を尽くす極意を示して下さっており、ぜひ原文を拝読していただきたいと思いますが、それぞれの題名から推察できますように、罪人に対しても、また明らかに誤った行為に対しても、微塵(みじん)も疑いの目を向けることなく信じ切る、まさに天照大御神とご一体の教祖宗忠神なればこその神業です。

 ただ、教祖様のお振る舞いを表面的に倣(なら)うことは気を付けなければならないと思います。悪意や間違いを真(ま)に受けることが私たちの為(な)すべきことでは、もちろんありません。“神格尊重”とも言える「人の心に内在する本体たる神性」、すなわち「ご分心」の確信と尊重こそが、教祖様の御姿から学ぶべき大切な教えです。

本稿では、数回にわたって高く且(か)つ深い教えの核心を学んできました。それは、「教えの五事」と尊ばれてきた「誠を取り外すな」、「天に任せよ」、「我を離れよ」、「陽気になれ」、「活物(いきもの)を捉(つか)まえよ」の要諦(ようてい)であり、「養無」、「生き通し」、「祓い」の一大事でした。いずれも「神と人とは別物ではない(神人不二)」という揺るぎない確信の上に打ち立てられた、「神と人との一体(神人一体)」を目指す道を歩むための教訓です。

 強欲や恨み、利己主義に陥って自縄自縛(じじょうじばく)する人々の多い現代の世の中で、「人は、ここまで誠に徹することができる」との深い感動を心にいただいて、教祖様に一歩でも近づくべく「人のために祈る」道の誠を尽くしてまいりましょう。

誠より外に頼りはなきものを 誠を知らぬ人のあわれさ(伝御神詠)