黒住教は、江戸時代後期の文化11年(1814年)に立教した、日本人を教祖にもつ最も古い宗教です。岡山市の尾上神道山に本部を置き、200年以上にわたって日本各地でその教えに基づいた活動を行っています。
教祖神・黒住宗忠(1780〜1850)は、代々の神職の家に生まれました。最愛の両親の急逝による心痛で病に臥し、ついには死を覚悟しましたが、文化11年(1814年)の正月に日の出を拝んで復調の兆しを得て、数ヶ月で病を克服しました。そして、自らの誕生の日であるその年の冬至に、東の空に昇る朝日を拝んで神人一体の境地にいたり「
したがって、黒住教では日の出を拝む「
天命直授を通して、宗忠は「人は皆、
これは、私たち人間は全ての命の親神である天照大御神の御魂
をいただいて生まれてきた神の子である、ということです。
私たちを守り導いてくださる天照大御神に報恩感謝の真心を
尽くして、私たちの真の心を、丸く、大きく、あたたかい、
本来の姿に養い育てることが本当に生きるということです。
“心なおしの道”である黒住教は、人生の開運の宗教であるとも
言うことができます。
日本は日の丸をかかげ、太陽をお日様・お天道様と称え崇めてきた国ですが、そうした古代からの信仰の上に、宗忠は、太陽そのものを崇拝するというよりも、昇る朝日に顕現される万物を生み出す親神として天照大御神を感じとり、日拝によって感謝を捧げることの大切を説きました。そして、日の神の分心が人々の心の奥深くに鎮まり、全ての人が神になることができると教えました。
「この宗忠を師と慕うものを見殺しにはせぬ」と、教祖神・黒住宗忠は、今も悩める人、救いを求める人のためにおはたらきくださっています。天照大御神と一体となった教祖神に日々の感謝を捧げ、心から祈り、誠を尽くすとき、尊きご神徳のおかげは必ずいただけるのです。
現7代教主・黒住宗道は、教祖神の名代として、日夜、人のため社会のために祈り、まごころを尽くしています。夜明け前から始まる日拝は、一日も欠かすことなく続けられ、その祈りと奉仕の生活はひとえに教祖神の導きを願うすべての人々のためのものとなっています。
私たちは、一人でも多くの方が教祖神の教えにふれて、天照大御神のご神徳の中で生きる喜びに目覚め、開運の道を歩まれることを心から願っております。
「神国の人に生まれ常に信心なき事」恐るべし 恐るべし
天地自然に満ちわたる天照大御神のご神徳のなかで、生かされて生きているのが私たち人間です。自分の力で生きていると勘違いしがちな人の多い今日ですが、わが生命の本源を見失わない人間でありたいものです。
「腹を立て物を苦にする事」恐るべし 恐るべし
腹を立てて冷静さを失い、物を苦にしてマイナス思考に陥ることがどれほど罪深いことでしょうか。自他ともに深く傷つけてしまう要因であるこの条項が、他に先がけて掲げられている意味の重さを肝に銘じたいものです。
「己が慢心にて人を見下す事」恐るべし 恐るべし
慢心とは向上心のない心。周囲が劣って見えるときや、大した事はないと高をくくっているときに、とにかく人は足元をすくわれがちです。自信・確信に裏付けられた安心立命と、過信して慢心の淵に沈むこととは紙一重です。常に謙虚さと向上心を忘れないようにしたいものです。
「人の悪を見て己れに悪心をます事」恐るべし 恐るべし
人の心は易きに流れやすいものです。気を抜くとすぐに楽な方へ低い方へと傾きがちです。常に自省と自律を心掛けて、心を養い高めていきたいものです。
「無病の時家業おこたりの事」恐るべし 恐るべし
個人の権利と自由ばかりが主張されがちな世の中ですが、責任と義務が軽んじられて健全な社会が成り立つはずがありません。為すべき務めを果たす「人となる道」を踏み行いたいものです。
「誠の道に入りながら心に誠なき事」恐るべし 恐るべし
天地の心である「誠」の中に生かされて生きるお互い、人に、社会に、天地自然に誠実であり、誠意を尽くす人でありたいものです。
「日々有り難き事を取り外す事」恐るべし 恐るべし
黒住教は「ありがとうなるための宗教」です。常に感謝と感激の心を忘れることなく日々を重ねたいものです。
「立ち向こう人の心は鏡なり己が姿を移してやみん」
出会う人の心を鏡として自分自身を常に反省することの大切さとともに、相手の人の側に立つ、思い遣る、おもんぱかる心を大切にしたいものです。
この「御七ヵ条」は、天照大御神の「分心」の器である人間の心が、常に健全な状態にあるように努めることの大事を説いているものです。