毎朝日拝にお目にかかり候つもりに
ござ候。お忘れ下さるまじく候。(御文一三六号)

 御文一三六号は、虫喰いのために宛て名部分がありませんが、天保十三年(一八四二)に尾関丈五郎氏(岡山藩士大組四百石)に宛てられたものと伝えられています。この年、教祖神御歳六十三(数え)で、尾関氏は三十七歳でした。歳の差は親子ほど離れていますが、教祖神は尾関氏の人格、教養が特に優れているのを見込んで、大いに将来を嘱望されていたといわれています。

 人間的にも素晴らしく修行熱心でもあった尾関氏が参勤交代のために江戸へ出発する前に、教祖神と約束したことが今月の御教えです。「毎朝、尾関様にお会いするつもりで御日拝をつとめていますので、どうかお忘れにならないように、あなた様も毎朝御日拝をおつとめ下さい」とお示しになっています。そしてこの一文に続いて、
「一、道は〇きよりほかはござなく候。時に一首出ほうだい申し上げ候
 まるき中に丸き心をもつ人は
   かぎりしられぬ○き中なり
これすなわち生き通しなり。何事も限りをつけ給うべからず。まるき御神に年はより申さず、少しの間もかの丸き有り難き事お忘れなさるまじく候。(中略)天照る御神へのご信心は、少しも少しも陰気ぎらいなり」と認められています。現代語訳しますと、
「一、天照大御神のご神徳は、丸いというより外に表す言葉はありません。時に一首浮かびのまま申し上げます。
 丸く欠ける所のない大御神様のご神徳の中に、同じように丸い心を持って生きる人は、限りのない丸き神と一体です。
これはそのまま〝生き通し〟です。何事も限りをつけてはいけません。丸い大御神様に年は寄りません。少しの間もその丸く有り難いことを忘れてはなりません。(中略)大御神様へのご信心は、ほんの少しの陰気も禁物です」となります。

 教祖神を慕う道づれとして、時刻にかかわらず毎朝御日拝をつとめ、尾関氏と同様に教祖神にお会いし、陰気を去るべく御陽気をいただいて下腹に納め、天地とともに気を養ってまいりましょう。