宗忠の神様、有り難うございます。
守り給え幸わえ給え。
教主 黒住宗道
教主就任に際して発表させていただいた「告諭」の締め括りに示した「守られて幸わう“道の祈り”」を、日々の祈りの詞として欠かさず唱えておられる方もいらっしゃることと存じます。まずは、その篤信のお道づれ各位に、お詫びを申し上げなければなりません。実は、この度最後の文言を「宗忠の神様、有り難うございます」と改めました。一言一句が大切な言霊である祈りですから、公にする前に自分自身で実際に何百回も唱えたという経緯はあるのですが、「より広く、より多くの人々に唱えていただきたい…」という思いから、昨年の神道山ご遷座五十年記念祝祭に際して、尊いご浄財を献納された方々への待遇品として製作された扇子に染筆するのを機に、意を決し改めたのです。あくまでも黒住教教徒・信徒以外の方への配慮からの変更なので、「教祖様、有り難うございます」が口についている方々は、これまで通りの文言で祈っていただいて結構です。
昨年の記念祝祭の佳き日に発表いたしました「示達〈その二〉」で、「次なる節目」と呼び掛けたのが「令和十二年(二〇三〇)の『教祖神ご降誕二百五十年』」です。本年十月に「大元 宗忠神社ご鎮座百四十年記念祝祭」を有り難く斎行し終えて、本教が十年毎に迎える“祝い年”を締め括るわけですが、十年後の「大元 宗忠神社ご鎮座百五十年」を見据えた時のちょうど中間点として「教祖神ご降誕二百五十年」を迎えることになります。そして、「よりよく生きるための“五つの誠”」の各項目を基本として二年毎に発表している「信心心得」(旧「修行目標」)がちょうど一巡して、明年からは《祈りの誠》「活かし合って取り次ごう! 日拝に始まる日々の祈り」が呼び掛けられることになりました。個人的な覚悟を申し上げますと、私は、明年からの十年間が七代教主としての真価が問われる最も重要な期間になると思っています。そこで、私の覚悟に皆様を巻き込むつもりはありませんが、七代教主の時代に黒住教のお道づれ(教徒・信徒)として、私と心ひとつに宗忠神を尊崇して道を歩ませていただくご神縁を感じていただけるのならば、明年からの十年間を「宗道教主と共に、さらに道を求め、さらに道の誠を尽くして、今まで以上に道ごころを養い培っていただきたい」と願っています。
ところで、この時期は例年の通り「神道山新春特別御祈念」の染筆に注力しています。対外的な講演や会議や執筆の準備もあって、申込用紙の綴りが溜まりがちで気が急きますが、お一人おひとりへの思いを何よりも重んじて、「筆を持った時から祈りは始まっている」と、心鎮めて真摯に一件ごとに向き合っています。実は、幾つかの「願意」の表記を、私独自の表現に改めて揮毫していることを、この場で説明して了解していただきたいと思います。
先ずは、今までに本誌上でも紹介されている「見本」が実は「見本」にならなくて申し訳ないのですが、昔から本教では一般的な「心身健固」という願意を「心身健朗」と揮毫しています。強固・堅固よりも明るく陽気で朗らかな健やかさの方が“お道的”だと感じているからです。そして、加齢とともに心身は硬直化しやすいので「固」ではなくてもよいとも思ったからです。
また、「当病平癒」以上に「快氣安全」や「本復成就」を多用しています。理屈が過ぎてはいけませんが、最初の祈り(初念)は「この病(当病)の平癒」を祈念しますが、いつまでも「当病」に言及していては、「せっかく治る(快気・本復)途上にあっても、病に心を捉われたままになってしまう…」と感じるからです。「快気祝い」という言葉に伺えるように「快氣」そのものが「病が治る」という意味ですが、実に“お道的”な用語なので、そこに「安全」を組み合わせた「快氣安全」を、とりわけ慢性化している病の平癒を願う方への「当病平癒」の願意として、心中で「本復成就」を願い祈りながら染筆しています。
その他「元氣喚起」や「陽氣充実」、「錬誠開運」、「信生寿福・信寿福」、また「神徳昭々」とも認めますが、多くの禁厭に揮毫するのは「神光無限」です。私たちにとって、「神光」とは申し上げるまでもなく「日光・陽光」すなわち「天照大御神の御光り」で、“お日様教”・“お天道様教”たる私たち黒住教こそ、世の人々に「神光」をしっかり取り次いで、特に病み悩み苦しむ方々に“おかげ(日の御蔭)”を存分に受けてもらわなければならない…という一念で、御祈念を書かせていただいています。私の教主就任に際しての、名誉教主様との“合作”である「神光」の扁額に込めた思いを、あらためて心に刻んでください。
十年毎の“祝い年”が明けた来年である令和八年(二〇二六)は、欽行百四十年の宗忠神社御神幸を賑々しく有り難く斎行することが中心になりますが、実は、教祖神ご在世中の弘化三年(一八四六)に集団(組織)としての基本的な約束事である「御定書」が制定されて教団が成立して百八十年、そして、神道国教化(後の国家神道化)を進める明治新政府に三代宗篤様が敢然と立ち向かわれて教団(神道黒住派)の別派独立が果たされた明治九年(一八七六)から百五十年という、新たな時代の幕開けを象徴する年になります。長い歴史を重ねると「毎年が節目(記念の年)…」のように思われるでしょうが、九月には教主就任丸九年、すなわち十年目を迎えるタイミングにも霊妙なるご神慮を感じながら、心新たにいよいよの十年間のスタートを迎えたいと思っています。
最後に、この度文言を改めました「守られて幸わう“道の祈り”」を掲示します。
守られて幸わう“道の祈り”
一切神徳 神徳昭々
錬誠開運 尽誠道楽
(三度以上繰り返し)
宗忠の神様、有り難うございます。
守り給え幸わえ給え。
