わが本心は天照大御神の分心なれば、
心の神を大事につかまつり候えば、
これぞまことの心なり。(御文一四七号)

 この御文の一節の前には「有り難きことのみ思え人はただきょうのとうとき今の心の」(本誌令和四年十二月号「御教え」)の御神詠が認められていますが、本教は過去や未来に囚われることなく、「今日只今」を大切にしています。

 文化九年(一八一二)秋、宗忠様のご両親が流行病(赤痢、チフスの類い)のため、わずか一週間のうちに相次いで昇天されました。生来、大変親孝行であった宗忠様は、悲しみのあまり、肺結核を患い生死の関頭に立たれました。その際、「今の自分の姿をご両親がご覧になったら、どんなに悲しまれるであろうか。大変な親不孝をしていた」と気付き猛省されたことが、その始まりです。

 それ以来、宗忠様は、ひたすら天恩(ご神徳)に感謝し、心を陰から陽へと大転換されました。そして、文化十一年(一八一四)十一月十一日(旧暦)冬至の日、宗忠様は御日拝において「天命直授」され、天照大御神様とご一体となって本教は立教なったのです。

 このご体験により教祖神は、「人は、大御神様のご分心(わけみたま)をいただく神の子」であることを体得し、前述の御歌の通り、「人はただ、きょうの今の尊い心(ご分心)の有り難いことだけを思いなさい」とご教示下さいました。

 この御神詠に続いて「わが本心は、大御神様のご分心であるから、心の神(ご分心)を傷めることなく大事にすれば、それこそが〝誠の心〟である」と、今月の御教えをお示し下さっています。そこで大切なことは、教祖神のご体験のように、まずは自分の至らぬことに〝反省の誠〟を捧げることです。その〝反省の徳目〟となるのが、「より良く生きるための〝五つ(祈り・孝養・奉仕・感謝・反省)の誠〟」です。

 ご分心本来の明るく温かい陽気なおはたらきが、我執・慢心・臆病・恨み・不満等の、いわば陰気な罪穢れによって妨げられ弱められていることに気付いて反省するのがお道信仰です。そこで、まずはご分心の存在を素直に信じ、常にわが心を省みて祓い清め、〝五つの誠〟を実践し、〝心なおし〟に努めてまいりましょう。その基となるのが〝反省の誠〟です。