常祓いと申すことをお忘れなされず、
これを生かしてつかい申し候えば、
ほかに道はござなしと存じ奉り候。(御文二号)
今月の御教えを現代語に訳しますと、「『常祓い』ということをお忘れなさらず、この常祓いを生(活)かしてつかっていけば大丈夫で、ほかに求める道はないと存じます」となります。常祓いとは、常の祓いであり「ねてもさめても『心の祓い』につとめること」です。
この御文二号は、教祖神が石尾乾介高弟宛てに出されたお手紙ですが、教祖神は常々、高弟に「心を澄ます」ように指導されていました。そして、心を澄ますためには、具体的にどうしたらよいかを御教えになったのがこの御文です。
「神道は祓いの一言に在り。祓いは神道の首教なり」(御教語)と、教祖神もご教示下さっていますように、神道では祓いを特に大切にしています。古来、清浄に祓われた所に神は鎮まられ、祓われた清潔な人がおかげをいただくことができるとされてきました。そこで、けがれたものを祓い去る神道の考え方が日本人の慣習となったのです。教祖神は、こうした形の上での罪けがれとともに、殊に「心の祓い」の大事を強調されました。
私たちの心は、天照大御神のご分心(わけみたま)のご座所です。悪心・臆病・疑いといったけがれを祓い清めることによって、大御神様とご一体になることができるのです。ですから、そうした罪けがれを祓い去る修行をつとめることが、ご分心をいただく神の子としてふさわしい道といえます。
私たちは心を澄ますために、お道の〝三大(日拝・お祓い・御陽気)修行〟に励むとともに、けがれのない有り難い心にならせていただくために、大御神様に、教祖神に、そして人様に誠を尽くすことが大切です。世のため人のために〝祈りと奉仕の誠〟をつとめるとき、祓われ澄み切った境地となるのです。
祈りとともに誠を尽くすことによって、心に有り難いものを満たすことが心の祓いとなります。私たち道づれのお道信仰においては、教祖神にお喜びいただける信仰に励むことが、心の祓いに通じると確信します。そこに、神の子として生まれた私たち人間が、真に神になることのできる道筋があるのです。信心心得の「活かし合って取り次ごう! 心なおしと常祓い」をしっかりとつとめてまいりましょう。
