わがわれと思うわが身は天のわれ
わがものとては一物もなし
わがこころ磨くこころの有る人は
悪事さいなんはらいのぞけん
(御文二四九号)
今月の御教えは、御文二四九号に認められた二首の御神詠です。一つ目の「わがわれと思うわが身は天のわれわがものとては一物もなし」の御歌の前には「いっさい思わくと申すものは、身のためにして、心のためにはならぬものなり。ただお心をよろしくお養いなされ候こと、ご肝要に存じ奉り候」と記されています。
「思わく」とは、自分にとって都合のよいようにという計らい心ですが、それは身(形)の上の利益のためであり心のためにはならないとご指摘の上で、ひたすら、お心を養うことが肝要であるとご教示下さっています。そして「自分を自分のものと思っている、そのわが身は天からの授かりものであり、この世の中にわがものは一切ない」と、御歌をもってお示し下さっているのです。
〝心を養う〟とは、天の声を聞かせていただけるように〝心を澄ます〟ことといえます。前述の御歌の後に、「天照大御神は、いっさい万物を生じ給う大御神ゆえ、天地のあいだいっさい生かし、いっさい何事も成就せずということなしにござ候あいだ、ただ何事も、日の丸様にお任せなされ候ことのみ祈り奉り候」と書き示されています。天照大御神は一切万物をお生み出しになる大御神様ですから、天地の間の全てのものを生かし、何事も成就しないということはありません。ひたすら何事も日の丸(大御神)様にお任せになることだけをお祈り申し上げますと仰っているのです。
その「大御神の御歌にも」として記されたのが、「わがこころ磨くこころの有る人は悪事さいなんはらいのぞけん」です。わが心を磨こうとする心のある人は、その人にかかる悪事災難を払い除けてやるぞと、大御神様が仰っていると、教祖神はお諭し下さっています。
昨年と今年の信心心得は、〝反省の誠〟を眼目とする「活かし合って取り次ごう! 心なおしと常祓い」です。わが本心であるご分心のご座所が意志・感情が現れる自分の心です。汚れ傷付きやすい自分の心を祓って洗って養っていけば、大御神様またご一体の教祖神が、悪事災難を取り除いて下さるのです。