家の内に鈴の鳴るこそめでたけれ ただ何事もからりからりと(伝御神詠)
平成21年6月号掲載 「皆様、鈴木家の鈴をご覧になりましたか? まことに結構な、みごとな鈴です。ぜひご覧になるように…」ある日のお説教で、教祖様からこのようなお話を伺った人々は、「一体、どのような立派な鈴であろうか…」と、あれこれ思いを巡らせながら鈴木家を訪ねました。しかし結局、誰(だれ)一人それらしき鈴を目にすることはできませんでした。
後日、教祖様にお尋ねすると「それは形のない、家内じゅうに睦(むつ)まじく打ち鳴らされる鈴のこと」と笑顔で仰せになったとのことです。いつも明るく笑い声の絶えない鈴木家を称(たた)えて、教祖様がお詠(よ)みになったと伝わる御歌が今月の御教えです。
また、別の日のお説教で、教祖様は「平和な家庭と不和な家庭」という分かりやすい例え話をされました。
「ある人が、平和な家庭を訪れました。ちょうどおじいさんが大なべを買って帰り、内庭に降ろして上がり口に腰掛けて一服していると、何も知らない息子が2階から割り木を投げ下ろし、なべが割れる音で初めて気付いて駆け下りてきて、両手をついて謝りました。おじいさんは、こんなところになべを置いた自分が悪かったと言い、奥から出てきたおばあさんは、自分がすぐに片付ければよかったと詫(わ)びる。息子の嫁は、主人が2階にいることを知っていた自分こそ取り片付けるべきでしたと謝罪する。おじいさんは、誰の罪でもない、けががなくて何よりだったと微笑(ほはえ)みました。
一方、不和な家庭では、おじいさんが上がり口に置き忘れていた一升徳利(どくり)を、帰宅した息子が誤って蹴(け)転がして、こんな所に徳利を置いて…と大声を出す。お前が気を付けないからだと文句を言うおじいさんに、通り道に徳利を置いた方が悪いと責めるおばあさん。腹を立てたおじいさんから、お前がさっさと片付けないからだと怒鳴(どな)られたおばあさんは、嫁を呼び付けて、自分は目が薄いのだから、気が付かなかったお前が悪いと当り散らす始末。結局、収拾のつかない大喧嘩(げんか)…」
家族は社会の最小単位といわれます。笑うに笑えない話ですが、明るく笑える家庭でありたいものです。
家内じゅうなかのよいのが神かぐら 高天の原で笑う鈴の音 (伝御神詠)