よきことはつとめてもみな取り給え
あしきことをばはらい給えよ
これみな心の祓いなり(御文一五〇号)

 この御神詠を直訳しますと、「よいことは努力しても皆取り行いなさい。悪いことは祓い去りなさい」となりますが、これはただ単に道徳的な“善悪”でなく、私たちがいただいている天照大御神のご分心(わけみたま)に対して、良いか悪いかということです。

 御文一五〇号には、「道は日々面白く暮らし候えば面白きばかりなり。有り難きのみ暮らせば有り難きばかりなり。ただ心の向け方にあらわれ候まま、何事も、よきを取りあしきを捨て候えば、よきことばかりに相成り候」と認められています。

 現代語に訳しますと、「このお道は日々面白く暮らしますと面白いことばかりです。有り難いという心で暮らしさえすれば有り難いばかりです。心の向け方に現れますので、何事もよいことを取り、悪いことを捨てれば、よいことばかりになります」となります。そして、この御歌を詠まれて、「これこそ皆、心の祓いです」と仰せになっています。

 わが心こそ、ご分心のご座所であり「おかげの受け皿」です。悪しきものが積み(罪)積もって、けがれ(気枯れ)やすい心なればこそ、教祖神は「心の祓いが肝要」、「時々刻々常祓いに祓えよ」、そして「ご分心をいためな。─善人の罪を作るな」(いずれも御教語)と、常に心を祓う大事を説かれました。ご分心を養う上で、よきことを努めて取り入れて実践することで、心は真に祓われ、一層豊かに健やかに養われます。

 私たちの日常生活を振り返ってみますと、腹を立てたり物を苦にしたりして、その嫌な思いや辛く苦しい思いを引きずってしまい、自分で自分の心をより一層に暗くし、痛め付けていることが多くあります。心配りはしても心配(心痛)をしてはいけないのです。よきことを取り心を明るく陽気に養って、決して善人の罪を作ることのないようにしていくことが、心の祓いに繋がります。

 また、人は自分にとって都合の良いことは受け入れても、都合の悪いことには目を塞ぎがちです。都合の悪いことでも、前向きに受け止めることで、まさに「難有り有り難し」となり得ます。何事にも感謝できる心を培い〝ありがとうなる〟べく、まずは身の回りの「ありがとう」を一つでも多く見付けてまいりましょう。