身も我も心もすてて天つちの
たったひとつの誠ばかりに(御文一四五号)
昨年、国指定の有形文化財に登録され、今年、ご鎮座百四十年を迎えた大元 宗忠神社の境内に、過ぐる皇紀二千六百年・昭和十五年(一九四〇)二月十一日の紀元節(今日では建国記念の日)の日、世界三大提督の一人である東郷平八郎元帥が揮毫された「宗忠神社」の社名碑が建立されました。
今から百二十年前の乙巳の年であった明治三十八年(一九〇五)五月二十七日の日露戦争における日本海海戦で、当時世界最強といわれていたロシアのバルチック艦隊を対馬海峡で撃破した日本連合艦隊の東郷平八郎司令長官(後に元帥)は、海戦のさ中、旗艦三笠の艦上で飛んで来る砲弾をものともせず、今月の御教えの御神詠を吟じ続けられていたと伝えられています。
こうした逸事のある有り難い御歌には、「誠」の大事が詠み込まれています。お互い人間が生まれつき備えている誠の本体は、天照大御神の大御心です。ですから、人それぞれの誠は別物ではなく、その根源は大御神様のわけみたま(ご分心)なのです。
御文一四五号では、この御歌の後に「誠の本体は天照大御神の御心なり。その有り難きことを一筋に思い、万事お任せ申し上げ、これにて何事も気づかいなしと、疑いを離れ候えば、すぐにおかげは目の前にあらわれ申すべく候。皆人々疑いなしとは思い候えども、苦になりおく病おこり候もみな疑いなり。例の誠は丸事にて、すぐに一心一体なり」とあります。
誠の本当の姿は大御神様の大御心であり、その有り難きことを一筋に思い、万事お任せ申し上げ、これで何事も心配はないと「疑い」を離れると、すぐにおかげは目の前に現れると仰せになっています。ところが、大御神様のご神徳を疑う心を離れることができず、果たしてご神徳はあるのだろうか、またご神徳はあるにしても、私のような者がおかげをいただけるのだろうか、それは難しいのではないかといった疑いや臆病が湧いてきがちなのが人というものです。だからこそ、教祖神は「苦になりおく病おこり候もみな疑いなり」とご忠告下さっているのです。そして、誠は丸事で、すぐに大御神様と一心一体であると端的にお示し下さっています。「まること」の「る」が約まって「まこと」だといわれますが、私たちが誠を尽くすとき、大御神様と直ちに一心一体になれるのです。