いよいよ始まった
「第六十三回神宮式年遷宮」に向けた取り組み
教主 黒住宗道

 恒例の新春参宮の際に、「もう十年か・・・」と時の経つ速さをしみじみ感じながら、御遷宮十年、すなわち次の式年遷宮まで十年という折り返し地点の年にもかかわらず、そのことに関して全く言及のない神宮の慣例を不思議にさえ思ったのが、二年前の令和五年(二〇二三)一月十六日のことでした。

 そして一年後の、昨年一月二十二日の参宮の時に、出迎えて下さった神宮の幹部の方から「ちょうど今の時刻、大宮司が参内して陛下に拝謁している頃・・・」とお聞きして、御遷宮から十一年目の正月に今上陛下からの御言葉を賜って初めて、次の式年遷宮に向けた諸準備が開始されることを、同日同時刻に知るというおかげをいただきました。

 以来、昨年の一年間を通じて関係部署内での下準備が綿密になされてきたのでしょう・・・。本誌別掲のように本年一月二十日に、お道づれ有志の皆様との内宮御垣内参拝の後に、特別に立ち入らせていただいた昨年までの「古殿地」は、「令和十五年 第六十三回式年遷宮御敷地」と改められ、立派な看板が立っていました。ご案内下さった職員の方に伺うと、元日付けで「神宮式年造営庁」なる新たな担当部署が神宮司庁内に設置され、いよいよ御遷宮に向けた本格的な取り組みが開始されたことを知りました。

 一旦始動すると千二百有余年の伝統に基づき、最初の御用材が切り出される「山口祭(御杣始祭)」を皮切りに数々の神事・関連行事が次々と連続して行われます。私たちにとって思い出深い「お木曳行事」が執行されるのは、早くも来年と再来年です。「えっ!? あれからもう二十年!?」と驚かれる方も多いと思いますが、前回、さらには前々回まで思い起こせる人々と共に次回への取り組みが推進できる「二十年毎」という年数にこそ、わが国最大にして最高の御祭りである「神宮式年遷宮」に込められた先人方の叡智が在るのだと私は確信しています。

 日本人の“総氏神”であり“心のふるさと”である“伊勢神宮”(正式名称は「神宮」)の最重要祭儀である「式年遷宮」は、本来は国民挙って奉祝すべき慶事ですが、今やその意義を正しく理解している人は決して多くありません。なればこそ、私は神宮と本教とのご神縁は時代によって変わるものではないという誇りと確信と、何につけ“日本固有の”、“古来の”、“伝統の”継承が非常に困難な時代の黒住教教主として覚悟と使命感をもって、お道づれの皆様と共にできる限りの誠を尽くしたいと念願しています。

 ところで、今年は長男の宗芳が御神用のため伊勢到着が夜更けになるということで、久しぶりに弟の黒住忠親宗忠神社宮司と共に伊勢に向かいました。内宮参拝の前日(今年は一月十九日)に伊勢に入り、まず外宮に参ってから、地元の方々と一緒に食事をするのが前教主様時代からの慣例なのですが、前回の御遷宮に向けた取り組みを本教の実務責任者として務め、さらには前々回の参拝奉仕の経験もある忠親が同席してくれたので、今年の食事会は一層楽しく意義あるひとときになりました。と申しますのも、迎えて下さった地元の方々というのが、伊勢市や伊勢商工会議所等による官民一体の「伊勢御遷宮委員会」の実務を与る主要メンバーで、その中心は令和十五年(二〇三三)の式年遷宮の年まで全力で走り切れる世代ということで私たちよりも若く、前回と前々回を体験した私たちの話を殊のほか喜んで聴いてもらえたからです。何はともあれ、来年と再来年の「お木曳」を如何に有り難く盛り上げることができるか・・・、熱い思いを互いに語り合いながら、教祖神以来の伊勢とのご神縁があらためて強く結び直されているように感じました。

 「神風や伊勢とこことは隔つれど 心は宮の内に住むらん 宗忠」(御歌九七号)というご署名入りの御神詠からも教祖神の伊勢への深い御心が伺えますが、備前岡山から往復一カ月を要する伊勢参りを六度も果たされ、何度目かの参宮時に伊勢の神官から参拝目的を尋ねられた際に「我が願いただ一つ。我が祈りただ一つ。我ただ偏に『天照大御神の御開運を祈り奉る』」と凜然とお答えになった「御開運の祈り」を、今も最も大切な祈りの詞として日々捧げる私たちにとって、“伊勢の神宮”は正に掛け替えのない存在です。幕末の二代宗信様時代の「千人参り」に始まり、明治・昭和・平成時代に「萬人参り」が折に触れ挙行されましたが、とりわけ平成六年(一九九四)の「伊勢萬人参り」と「こども伊勢千人まいり」は、私と忠親にとって忘れられない思い出です。そして申し上げるまでもなく、昭和四十八年(一九七三)の第六十回式年遷宮の後に、古殿になった御用材が大量に下賜されて設えられたのが神道山 大教殿の御神殿(階から上の御社)ですから、本教の歴史は伊勢を抜きには語れません。

 ところで、令和四年(二〇二二)二月号の本稿で、私は「『祝い年』の幕開け ─心は大磐石の如くおし鎮め、気分は朝日の如く勇ましくせよ─」と題して、本教の年譜に基づき十年毎に迎える四年間を「祝い年」と称して「一層めでたく『ありがとうなって』、お道づれの皆様と喜びを分かち合いたい」という願いを吐露しました。当時は依然として“コロナ禍中(第六波)”でしたが、「正しく恐れて堅実に行動しよう」との思いを、「心は大磐石の如くおし鎮め、気分は朝日の如く勇ましくせよ」という教祖神の御教えに託したことです。

 おかげさまで、当年の“目玉”であった「神楽岡宗忠神社ご鎮座百六十年記念祝祭」は感染防止への配慮を行いながら無事に斎行することができ、個人的なことですが私の還暦年の取り組みも当初の目的を果たすことができました。その翌年が、本稿冒頭に紹介した「前の式年遷宮から十年、すなわち次の御遷宮まで十年」の令和五年(二〇二三)で、その年の五月八日にコロナは第五類扱いになり、いわゆる“コロナ明け”になりました。本教に関して申せば、晴れて令和六年(二〇二四)、すなわち昨年の「立教二百十年・神道山ご遷座五十年記念大祝祭」を盛会裏に迎えることができました。そして、「祝い年」の締め括りになる本年秋には「大元 宗忠神社ご鎮座百四十年記念祝祭」が斎行されます。

 有り難いご神慮のおかげをいただき、守られ導かれて日々を重ねた四年間の先に、「いよいよ始まった『第六十三回神宮式年遷宮』に向けた取り組み」を実感して、私は胸躍る思いです。まずは来年と再来年、できるだけ大勢で賑やかに楽しく有り難く「お木曳行事」に参拝奉仕させていただきましょう。それが、結果的に各ご家庭でのお道信仰のバトンタッチと、新たな“道の友(お道づれ)”の育成に必ず繫がります。ともに誠を尽くしてまいりましょう!