死にはせぬどこへも行かぬここに居(お)る たずぬる人のあらばこたえん(伝御神詠)
みずがたのなきと思うは迷いなり 拝めばここに宗忠の神(道歌)
平成22年8月号掲載
教祖様ご在世中のこと、備中玉島町(現倉敷市玉島)の中野屋庄兵衛という篤信家(信仰熱心な人)が重病で命限りになった時、家族にその心中を語りました。
「何事も天命なら仕方がないが、最後に一度、黒住大先生のおまじない(御祈念)を受けたら、何も思い残すことはない。あの御方にお祈りいただいてそれでも死ぬなら、真に余儀ない(やむを得ない)天命であろう。しかし、大先生の御手を触れていただき、御陽気を受けたら、きっとよくなると思う。最後の頼みはこれ一つ! 何とか叶(かな)えさせてくれ!!」
玉島から教祖様の御宅までは七里余(約30㌔)。お願いに上がってすぐにご足労いただいても、それまで命がもつとは思えない状態でした。諦(あきら)めるように説得する家族に、「ぐずぐずできぬ。どうか、わしを駕籠(かご)に乗せて連れて行ってくれ! 途中で死んでもかまわぬ!! このままでも死ぬる身だ」と、命懸けの懇望でした。
結局、病人の願いを聞き入れて駕籠に乗せて出立したものの、そろりそろりの足取りでは丸一日を要してしまい、あと一息という所で庄兵衛氏は事切れてしまいました。「残念だが引き返そう…」と話す付き添いの中に、「大先生のご意見を伺って来る」と駆け出した者がいて、「それほどまでに望んでいたのなら、連れておいでなさい!」との教祖様の力強いお言葉をいただいて、病人、いや死人は御宅に運び込まれたのでした。
「この左京を師と慕う者を見殺しにはせぬ」と題されたこの御逸話(ごいつわ)は、庄兵衛氏が生き返るというまことに有り難いおかげ話なのですが、教祖様をひたすら信じ慕い切った庄兵衛氏の信心あればこその奇跡でした。
今月の御教えは、教祖様ご昇天直後に各地で何人もの篤信家の口から、ほぼ同時に詠ぜられたと伝わる有り難い御歌です。教祖神ご昇天160年の今年、いよいよ目睫(もくしょう)の間(かん)に迫ってきた立教200年大祝祭に向けて、どれほどの篤(あつ)き信心で教えの祖(おや)たる宗忠神を「たずね」・「拝む」ことができるかどうか。ともに励んでまいりましょう。