七カ条のとめの歌によめる
立ち向こう人の心は鏡なり
己が姿を移してやみん(御歌一一九号)

 今月の御教えは、数多くのお道づれが最初に暗誦する御神詠です。お道信仰の日々の指針として唱え実践しようと努める御七カ条の止めの御歌ですので、ほとんどのお道づれが覚え、お道信仰の手引きとしています。

 毎日唱えておかげをいただく御神詠ですが、御七カ条無しでこの一首だけを書き記されているところに、大きな意義を伺います。教祖神が「天命直授」の大感激をもう一度味わいたいとつとめられた、今村宮への「千日の御参籠」中に神宣(託宣)をいただいて、それまでの五カ条が御七カ条になりました。

 また、二十歳の時に自らの戒とした五カ条の止めの歌は「立ち向こう人の心ぞ鏡なり己が心をうつしてや見ん」でしたが、「心ぞ」が「心は」に、「心を」が「姿を」と詠み換えられました。そして、はしがきに「七カ条のとめの歌によめる」と記されていますので、日々拳拳服膺するべき御歌であることをお示し下さっているのです。

 人は、一人では生きていけませんので、対人関係が大切です。鏡の正面に立たないと姿は映りません。斜に構えていては、立ち向こうことにはならないのです。日常生活という常住坐臥における身の処し方として、その「時・処・位」に応じて、誠心をもって当たることの大事を仰せになっているのです。

 そして、一般的に鏡ならば、「写す」か「映す」と書きますが、あえて移動の移を用いて「移す」と認められているところに、御歌の真意また深意があるのです。「人のふり見て我がふり直せ」といった表面的なものだけではなく、己れに悪心があれば、その悪心が立ち向こう人に移り、逆に誠心で人に接していれば、その誠心が移って行くのです。更に、相手の立場に立って行動することの大事を教えられています。

 私たちお道づれにとっては、人生諸事万端、教祖神ならばこうした時、どうなさるかと問う姿勢が大事です。そのためにも常日頃より御教えを、また御逸話を学び知っておく必要があります。

 この御歌を「生命の法則」と称えた宗教者がおられましたが、草木や一輪の花といった自然、さらには芸術作品等にも誠心を移すことがその法則に従うことになるのです。