「黒住教主」のSNS発信
教主 黒住宗道

 前回のAI(アーティフィシャル・インテリジェンス:人工知能)に続いて、今回のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)と、英語の頭文字やカタカナが多くて申し訳ありませんが、現代の世の中で生活するということは好むと好まざるとにかかわらずデジタル化社会を生きるということなので、今や電気や水道と同様に私たちの日常の暮らしに欠かせないデジタル技術の活用について、本「道ごころ」でお話ししておきたいと思います。

 先月、パリオリンピックが多くの感動と大歓声の内に閉幕しました。話題に取り上げたいことは幾つもありますが、コロナ禍により一年延期されて無観客で開催された前回の東京大会以上に、今回大きな社会問題にまでなったのがSNSによる選手や審判員への誹謗・中傷でした。「これまで〝陰口〟の領域だった愚痴や不満が、直接本人に届くようになって〝口撃〟化した…」と解釈すると、独り言や呟きも、今や瞬時に世界中に拡散される〝情報〟で、誰もが常に心してスマホ等の身近な道具を使わなくてはならないはずです。伝達手段が劇的に変化した環境下での、私たち一人ひとりの心の在り方が問われています。今回のオリンピックに際しても、愚痴や不満ばかりではなく、感動や激励や感謝の言葉も無数にネット上を駆け巡りました。胸の熱くなるメッセージには何度でも接したいものですが、圧倒的な情報量で頻繁に見聞きするのは身元不明者による噂話や悪口、そして非難です。分かち合いたい喜びやいたわりや素晴らしさは、先月申し上げた〝言うまでもないこと〟に含まれてしまうのかもしれません。

 このように考えると、一人ひとりの心の在り様が今まで以上に顕著に反映されるデジタル化社会において、〝心を祓い養い用いる心なおしの道〟たる本教の教えは、明らかにその必要性(社会的ニーズ)を高めていると確信します。

 本誌読者であるお道づれ各位には、まずはご自身が心新たに教祖宗忠神の説き明かされた御教えを自ら求めて身に修めるように努めてください。具体的に申し上げると、かつて私が著した小冊子シリーズ「黒住神道 ─いのちの親の七光り─ 」の中の、とりわけ『道端感謝』と『道の緒』そして『The Sun Century』の三冊を、熟読していただきたいと思います。そして、先人方によって教祖神のお言葉(御教語)が編纂列記された「三十カ条」を、「大祓詞」や「道の理」と同様に暗唱できるまで毎日唱えてください。実は私自身、数年前までこの「三十カ条」をスラスラと諳んじるまでには至っていませんでしたが、コロナ禍の自粛期間を神機と受け止めて毎朝繰り返して唱え続けて口ずさめるようになると、日常の暮らしの中で折に触れ時に応じて、御教語を的確なキーワードとして一層身近にいただけるようになりました。

 その上で、声を大にしてご案内申し上げたいのが、本稿のタイトルに示した「黒住教主」によるSNS発信です。

 教祖神畢生(ご生涯をかけて)の祈りであり、私たち黒住教道づれ(教徒・信徒)のアイデンティティー(自分が自分であることの存在証明)である「天照らす神の御徳を世の人に 残らず早く知らせたきもの」との御聖願の達成を真剣に考えた時、独り言でも瞬く間に世界中を駆け巡る文明の利器を活用しない手はありません。もちろん玉石混交のありとあらゆる雑多な〝情報〟が飛び交う世界ですから、使い方には慎重を期さねばなりませんが、七月に広島で提言させていただいたように、「AIに大切な言葉を蓄積させるためにも〝言うまでもないこと〟を発信し続けなければならない」と思うのです。

 このように大上段に構える程のことでもありませんが、令和の御代の幕開けから、私は「Twitter(今はX)」を始めました。三日に一度呟きつつ(英訳はtweet)、他のツールからの発信も共有しているうちに、その数は千五百回を超えました。日に何回も呟いている人からすると大した回数ではありませんが、その都度が、教祖神の御教えや日本人が古来大切にしてきた成句や語句を私なりに嚙み砕いた百四十文字(字数制限があるため)です。また、Facebookでは、月々の「日新『道ごころ』」をはじめ、五日ごとに「朗読コラム」と「道楽ツイート」と称して、かつて私が作成した文章(「黒住神道 ─いのちの親の七光り─ 」冊子ごとの各項目など)や短文(ツイッター用に作文したもの)を読み上げて音声として発信しています。また、毎月朔日の開運祭の説教を収録した動画を「神道山/黒住教本部」からYouTubeで配信してもらっています。さらに、今年の六月からは、神道山で拝する毎朝の日の出をInstagramで「日拝@神道山」として発信し始めました。これは、先達をつとめる私が御日拝中にスマホを構えるわけにはいきませんが、参拝者有志による撮影写真の中から「今朝のベストショット」を基本的に一枚選んで毎朝発信しているのです。「同じ旭日なのに、同じ日の出はない」ことを目の当たりにしてもらって、「ぜひ〝リアル日拝〟に参拝してほしい」というのが私の願いであり狙いです。

 こうしたSNSでの発信に際して、私は「黒住教主」と自称しています。「黒住教教主」という役職名では仰々しく感じられるのが、「『黒住』という苗字を『教主』という肩書で名乗っている」と違和感なく受け入れられるからです。実際に、神道山に参拝された初対面の青年の口から「あっ!黒住教主…」と咄嗟に発声された言葉に笑顔で応じたこともあります。教団名と苗字が同じであるという利点を活かしつつも、「教主」を〝安売り〟することのないように心掛けていることは申し上げるまでもありません。ただ、「黒住教主」の発信に対して既読者数が増えない現状は、正直なところ寂しいことです。内容の吟味・改善にも努めますが、ご自身はもちろん、お子様やお孫さんや、身近な方々に紹介してしっかり“取り次いで”いただきますよう、よろしくお願いいたします。

 教主を拝命して丸七年。末広がりを期待する八年目は、いよいよ「立教二百十年・神道山ご遷座五十年記念 大祝祭」です。ご家族ご一緒の皆様のご参拝を心待ちにしています。