日々家内心得の事
一、日々有り難き事を取り外す事
恐るべし 恐るべし(御七カ条第七条)
黒住教は、感激・感動そして感謝の心を養う道で、こうした心が〝開運の元〟となります。徹底したプラス思考で陽気な心を養うことが大事です。
文化九年(一八一二)秋、大変親孝行であった教祖神は一週間のうちに、ご両親を流行病で失われました。その悲しみのために心を陰気に閉ざした教祖神は、労咳(肺結核)にかかり死に瀕し、せめて今生の別れにと御日拝をつとめられました。この折の様子が、「教祖宗忠神御小伝」(星島良平高弟著)に記されています。
「吾元来父母の死を哀しみて、心を傷め陰気になりしより大病になりたれば、面白く、楽しく、おもいかえして心を養い、心さえ陽気になるならば病は自から癒ゆべきはずなり。ただ一息する間にても心を養うが孝行なりと思いさだめたまい、見るにつけ聞くにつけ天恩の有り難きことを思惟い、一向心をもって心を養い給いしより、日々にうす紙をへぐが如くに快方に赴わせたまう」。
教祖神は知らず知らずのうちに、大変な親不孝をしていたことに気付き猛省されました。そして心を陰から陽へと大転換し、大病を乗り越えられました。なお、この文化十一年(一八一四)一月十九日(旧暦)の御日拝を「第一次御日拝」とお称え申し上げています。
教祖神はこのご体験を通して、
有り難きことのみ思え人はただ
きょうのとうとき今の心の (御文一四七号)
との御歌のように努めることが、最も大切な「心の修行」となることを御教え下さいました。「徹底感謝」のたゆまぬ努力こそ、私たちがいただいている天照大御神のご分心(わけみたま)を養い育てる道であり、やがて「何事も有り難い」という心境になり「有り難うなる」ことができるのです。
有難い有難いとて世に住めば
有難き事ばかりなりけり (石尾乾介高弟詠)
ありがとうなりさえすればおのずから
病もなおり家もととのう (応武鶴三郎大人詠)
一日を百として九十九の悪いことがあっても、一つの有り難き事を取り外さないように、身の回りの「有り難う」を見付けて感謝する心の修行を積み重ね、有り難うなってまいりましょう。