宗忠の神を尋ぬる心あらば 孝と信との中にいますぞ(赤木忠春高弟詠)

平成22年3月号掲載

 「孝に生き、孝に病み、孝に救われ、孝に悟られた」教祖様の親孝行の御逸話(ごいつわ)を、心新たに学ばせていただきます。

 有名な「げたとぞうり」は、ご幼少時の雨上がりの日の出来事です。外へ出ようとなさった宗忠様へのご両親の仰せが、たまたま異なりました。「まだ道が悪いから下駄(げた)で…」と仰(おっ)しゃる父上様、外出先からお帰りになった母上様は「危ないから草履(ぞうり)で…」と。「お父様もお母様も、間違ったことを言われるはずがない」と、ご両親を信じ切っている宗忠様が、幼心(おさなごころ)を悩ませて片足ずつに下駄と草履を履かれたという、何とも微笑(ほほえ)ましい御逸話です。
 それから数年後、御年十歳前後の頃の事と伝えられているのが、父上様が「年齢の割に老けておられる」と話す近所の人の噂(うわさ)話を耳にした宗忠様が、連日水垢離(みずごり)を取って一心に父君の長寿を祈られたという、胸に迫ってくるような御逸話です。
 また、もう少し大きくなって、岡山藩主池田家の御右筆(ごゆうひつ)(記録職)であった市村三蔵先生のもとで書道を習っておられた頃の事だそうです。宗忠様が、夕刻までは非常に落ち着いて熱心に修行するにもかかわらず、終業の時刻が近づくと決まってソワソワして帰りを急ぐのを不思議に思った市村先生が理由を尋ねた際に、「いつも必ず門のところまで出て、私の帰りを待って下さる母上に心配を掛けたくないものですから…」と恥ずかしそうにお答えになったという御逸話が伝えられています。

 いずれも、ご両親の深く大きな愛情に包まれて、ひたすら純真無垢(むく)にご両親を信じ切り、敬い、慕い、尽くされた宗忠様の、幼少時から少年期の貴重な御逸話です。
 このご両親へひたむきな“孝心=信心”が、後の立志、さらには天命直授(てんめいじきじゅ)というお悟りの根本、すなわち本教の御教えの根幹であることを肝に銘じて、ともどもに「信じて信(まか)す信(まこと)の心」たる「信心」を養ってまいりたいと願うものです。