難有り有り難し(三十カ条)

 「難有り有り難し」は、教祖神の御教えの代表的なものの一つです。「難有有難」とユーモラスに四文字で表された御教えですが、その元になったのが御文一三一号です。

 「大難と存じおり申し候事も、天命に相任せ候えば、あとは有り難き事に相成り候ことだんだんござ候。ここを相考え申し候えば、難有が有り難きにてござ候。まことに一から万まで、皆天命と存じ奉り候。さようにござ候えば、心正直にござ候えば、何事も皆天命にござ候あいだ、少しも苦になると申すことも少しもござなく候。何もかも有り難きばかりにござ候」。

 「大難と思っていましたことも、天命(天のお計らい)にお任せすれば、あとは有り難いことになることが次々とあります。ここのところを考えますと、『難有りが有り難し』です。まことに一から万まで全てのことが天命ですので、心が正直であれば少しも苦になることはなく、何もかも有り難いことばかりです」といった意味です。「難有」と書いて「有り難し」と読みますが、教祖神は自分にとって不都合といえる「難」が有るのが有り難いと仰せになっているのです。

 ご両親の相次ぐご昇天を悲しむあまり心を痛め、肺結核に罹り、生死の関頭に立たれてから三十年後の天保十四年(一八四三)、一森彦六郎氏に出されたお手紙(御文一六八号)で「小子も、三十年以前の大難が、今この幸いと相成り候あいだ、難さえ有り難きに相成り候」と、ご自身の体験を通して陰気を去って陽気になることの大事をご教示下さっています。さらに御文一四三号では「皆形は難有が形の持ち前なり。しかし、わが修行は、難を難と思わぬがわが修行なり」とまで仰っています。

 「かわいさに難まで着せて(かけて)天地の誠の道をふましむるとは」との道歌がありますが、例えば病気になると健康の有り難さを、親を失うと親の有り難さを痛感することも「難有り有り難し」といえます。こうした難と思えることも、生命の親神である天照大御神のお計らいですので、決して悪かろうはずがなく、後には有り難く思えるようになる、いわば「ありがとうなる」のがお道人生なのです。信心心得の「活かし合って取り次ごう〝ありがとうなる〟有り難さ」をしっかりとつとめてまいりましょう。