千早振(ちはやぶ)る神の生み出す生みの子よ
              親の心をいたましむるな (御文19号)

平成23年12月号掲載

 今年最後の御教えは、「神と人」の関係を教祖宗忠様が端的に示して下さった御神詠です。今まで繰り返して学んできましたように、森羅万象すべての親神である天照大御神と、そのご分心(御分霊)(わけみたま)をいただく神の子である人は、「親と子」の間柄以外には考えられないと私たちは確信しています。
 ただ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(イスラーム)が共通して唱える「創造主と被造物の関係」とは根本的に異なる「(神と人は)親と子の関係」と説く宗教は、実は少なくはありません。他宗教を批判する訳(わけ)ではありませんが、地球上のすべての生命が親から子へと受け継がれているのですから、「すべてを生み出す親である神と、生み出された子である人やその他の生命」と解釈する方が、どう考えても自然です。
 大切なことは、この“親子関係説”の上に立って、親としての神の御心・御(み)はたらきをどのように説き、子としての人のつとめ(生き方)がどのように教えられているかで、正しい宗教かどうかの判断基準だと思います。

 ひたすらわが子の幸せを願い、そのための努力を惜しまず、わが子のためなら自らを犠牲にするほどの無私の深い愛情が本来の親心であり、恐れ多くも尊くも有り難いことに、その親心の究極が神心と理解すると、「一切神徳(すべてはご神徳)」という「丸任せ」を最高の境地とする御教えが説き明かされるのは必然です。そして、親を悲しませたり苦しめたりすることのないように、徹底して孝行に励むことが子としての最高のつとめであると、諭し示されるのも当然です。

 必然とか当然とか、まことに僭越(せんえつ)な表現をしましたが、生まれながらに、「孝」一筋に生き、「孝」とは何かを思い悩み、「孝」に病んで生死の関頭にまで至り、そして「孝」に救われ、終(つい)には「孝」に悟られた方を教祖といただく私たち黒住教信仰者の有り難さを、今一度深く心にいただいて、宗忠様の御心に叶(かな)うように、ともに喜び勇んで誠を尽くしてまいりましょう。