何事も天のものにてあるものを わがもの顔でつくる罪とが
何事も天のものぞと思いつる 君の心ぞまことなるらん
御歌一四六号と一四七号は、一枚の紙に連ねて認められていますので、一連のご教示としていただきたいと思います。
教祖神は、神人一体となった「天命直授」を通して、天照大御神は天地万物の親神であることを感得されました。そして、「人は、大御神様のご分心(わけみたま)をいただく神の子」で、そのご分心を痛めることがなければ、大御神様の大御心(誠)とわが心は一つであることを明らかにして下さいました。
しかし私たちは、何事も天のものであり、大御神様の御計らいによるものであるとは思えず、家族や財産などを自分自身で得たものとして、わが物顔で振る舞いがちです。そこに生まれる執着・我執から争いが生じ、罪科(罪や咎められるような行い)を作るようになります。ですから、全ての物がわが物ではなく、自分自身も天のものと心得て人生を送るようにつとめていけば、罪科の無い明るい人生が開けてくるのです。
人間は自己中心的に物事を考えて行動しがちで、そこに環境破壊や戦争が発生し、相手を傷付けたり、また自分自身の心(ご分心)をも痛めてしまうのです。それとは正反対に「何事も天のものであると、有り難いと感謝する心こそが〝誠〟ですよ」と御歌一四七号で仰っています。
この月五月の十三日には、五代宗和教主様の五十年祭を迎えますが、ご昇天前年の昭和四十七年七月、心臓衰弱のため三日間、人事不省に陥られました。しかし、おかげを受けて昏睡状態から意識が戻った五代様はご令息の六代様に、次のようにお話しになったといいます。
「この度は、大変よい修行をさせていただいた。私は、心臓をわがものと思っていた。未熟児で生まれた弱い身で、しかも大きな体を七十年近く支えてよく働いてくれていたのに、私は一度もお礼を言ったことがなかった。意識もうろうとした中で、私は心臓にお詫びとお礼を言い続けていたのだよ」と。五代様はわが心臓も、わが体も天のものと受け止められていたのです。
神に祈るということは、五代様がつとめられたように「お詫びとお礼」を捧げることです。「反省と感謝の誠」を大切にともどもにつとめてまいりましょう。