海あれば山もありつる世の中に
せまき心をもつな人々(御歌八四号)
この御神詠は、数多くのお道の先祖先輩方がお説教やお取り次ぎに際して拝誦し、おかげを受けてきています。また、病み悩み苦しむ人をはじめ、お道づれの多くが暗記して心の支えとしている代表的な御歌の一つです。平易な表現ですが、拝誦すれば陽気また霊気にふれて陰気が祓われ、心さわやかに晴れわたる感を覚えます。
もともとは“無政府主義者”(一切の権力や強制を否定して、個人の自由を拘束することの無い社会を実現しようとする主義)であった延原大川師は、「教祖様の御逸話」(日新社刊)の著者として知られる河本一止師の導きにより一変してお道教師となり、先の大戦後には「日新」誌の編集長を務められました。また、今日でもお道づれの入信の切っ掛けの一つとなっている「哲人宗忠」や「真人宗忠」等の教祖伝を著されました。こうした延原師は、この御神詠にふれた時、体中に電流が走ったといいます。そして、社会や政府を呪い自我の塊になっていたことに気付き、河本師の説かれる教祖神の御教えが耳に入るようになったと、しみじみと述懐されたことがあったということです。
この御歌は「この世の中には海もあり山もあり、くよくよと狭く陰気な心で暮らさないように」と、人々にお呼び掛け下さっています。教祖神は天地一体の境地から詠じられていますので、御歌に活物の溢れる躍動感が生まれているのです。まさに〝天言〟です。
教祖神が時尾宗道高弟を随行に作州布教をつとめた際、その帰りに吉井川を高瀬舟で下られたことがありました。その折、両岸の美しい景色を楽しまれている教祖神に時尾高弟が「先生様、只今のご心境が孟子の言いました『〝浩然の気(天地に満ち満ちている精気)〟を養う』というところでしょうか」とお尋ねすると、「私は常にわが気ではなく、天照大御神の大御心(ご分心)をお養い申し上げています」とお答えになったという御逸話があります。
そのための修行は、大御神様のご分心(わけみたま)をいただく神の子として、〝徹底感謝〟につとめご分心をお養い申し上げることなのです。