世の中はみな丸事のうちなれば
ともに祈らんもとの心を(御歌202号)
平成23年9月号掲載
「まること」とは、字のごとく「丸いこと」を示す黒住教独特の言葉です。「丸いこと」とは、天地自然が、「丸い状態」で「丸いはたらき」であることを意味します。
まず「丸い状態」は、歪(ゆが)みや偏りのない調和の取れた状態です。バランスよく安定した円満な「完全調和(大調和)」が、天地自然の本来・元来の姿です。そして「丸いはたらき」は、どのような動きや働き掛けも決して一方通行ではなく、直接または間接的に返ってくる双方向性の循環のはたらきであるということです。この「循環作用」が、いつの世も変わらない天地自然の仕組みです。
教祖宗忠様が「世の中はみな」とまで明言された「丸事(まること)」の中心・核心である「元のこころ」こそ、「誠は丸事にて、すぐに一心一体なり」(御文145号)、「誠の本体は天照大御神の御(み)心なり」(同)と御教え下さった「誠」なのです。ちょうど、静かな池に石を一つ落としたときに水面(みなも)に広がる“同心円”の波紋のように、「元のこころ」を共に祈り、ひたすら誠を尽くすとき、わが“心の神”すなわち“神の心”たる天照大御神のご分心(わけみたま)を通じて、“共鳴作用”とも言える尊きご神徳の広がり(おかげ)を誰もが享受できるのです。
心新たに「御文145号」(一部)を心読して下さい。
「誠の本体は天照大御神の御心なり。その有り難きことを一筋に思い、万事お任せ申し上げ、これにて何事も気づかいなしと、疑いを離れ候(そうら)えば、すぐにおかげは目の前にあらわれ申すべく候(そうろう)。皆人々疑いなしとは思い候えども、苦になりおく病おこり候もみな疑いなり。
例の誠は丸事(まること)にて、すぐに一心一体なり。かよう申し上げ候も、いかがと存じ奉(たてまつ)り候えども、尊君(貴方)様も、小子(しょうし)(私)初めて参上つかまつり候時、申し上げ候ところを、少しにてもお疑い遊ばされ候わば、恐れながら、ただ今はこの世にはござなされ候こと、計り難く存じ奉り候。さよう候えば、いよいよもって、天照大御神へお任せ遊ばし、万事少しもお気づかいなしとお定め遊ばさるべく候」