まだたらぬまだたらぬとて世に住めば
まだたらぬことばかりなりけり
生き死にも富も貧苦も何もかも
心一つの用いようなり(御文九二号)
今月の御教えの御歌二首は、天保元年(一八三〇)に石尾乾介高弟に出されたお手紙の御文九二号に記されています。その前文には「先だっての御道歌、有り難い有り難いとの御道歌、はなはだ感心奉り候」とあります。教祖神は石尾高弟の詠まれたお歌に大変感心されています。
そのお歌は「有り難い有り難いとて世に住めば有り難き事ばかりなりけり」で、何事も「有り難い」と受け止めて生きていけば有り難いことばかりになることを、石尾高弟は単刀直入に詠じられています。まさに「ありがとうなる」大事を歌にして、教祖神に自らの修行の眼目を伝えられたものと拝察します。
そして、教祖神は心の用い方、心のかじの取り方を二首の御歌でお示し下さっています。
「まだ足りないまだ足りないと言って世に住むと、まだ足りないことばかりです」との意の御歌に続いて、とにかく足ることを知るほど有り難いことはないと仰っています。
次いで「生きること、死ぬこと、富むこと、貧しさに苦しむことも、何もかもが心一つの用い方である」とご教示下さり、「道はいっさい生かすこと第一と存じ奉り候」(本誌令和二年三月号「御教え」参照)と、何につけても御いかしなさるようにと石尾高弟にご教導になっています。そして教祖神ご自身の修行目標もそこにあり、「い(生・活)かす」ことが、天照大御神の御道であることを強調なさっています。
さらに教祖神は、大御神様は〝生き通し〟の神で、そのおはたらき(ご神徳)は生き通しであることを説いて、「何事もいかす」ことがご神徳に合致することになることを御教え下さっているのです。
教主様が「告諭」また「示達」でお示しのように、私たち道づれは「活かし合って取り次ごう!」を合言葉に全ての人々の〝元気〟を喚起して、世の中が和やかに共に栄える「まることの世界」の実現を目指してつとめてまいりましょう。そのためにも〝感謝の誠〟を一層に捧げるべく、足ることを知り、何事にも「ありがとう」と言える心を培っていきましょう。