水上(みなかみ)は清き流れすえなど
世渡る舟に水のにごれる(御歌174号)
平成24年3月号掲載
何事も、時間の経過とともに新鮮さが失われ、塵(ちり)や汚れが溜(たま)って、傷み損なわれるものです。経験や安定、また風格や伝統をもたらすのも時間ですが、何も手を加えずに放置していると、やがてすべて朽ち果て、死滅してしまいます。大切なことは、常に新たな生命の息吹をもたらす活性化を怠らない不断の努力で、それは形ある物質や肉体に限らず、目に見えない精神的なもの、すなわち人の心にも必要不可欠なことです。
「人の心にも…」と記しましたが、本当は「心にこそ」活性化が必要で、心が活(い)きると形(肉体)も活き、心が死ぬと形も死んでしまうのです。
教祖宗忠様は、「おのおの体中に暖まりのあるは、日神(ひのかみ)より受けて備えたる心なり。心はこごるという義にて、日神の御陽気が凝結(こりこご)りて心となるなり」(「道の理(ことわり)」)と説いて、万物の親神である天照大御神のご神徳(御陽気)が凝結した「ご分心」という心の本体を明らかにされました。そして、「人慾(にんよく)を去り、正直に明らかなれば、日神と同じ心なり」(同)と、日神のはたらきを妨げる塵や汚れを祓い清めて、御陽気を存分にいただいて、本来の心の本体に立ち返るべく「心直し」につとめることの大事を繰り返して御教え下さいました。
時間の経過という流れと日常生活という世渡る舟に濁った水を浄化して、源流の真清水に戻す努力を怠ることなきよう、日々つとめてまいりたいものです。
「形のことを忘れ、日神の日々の御心に任せ、見るも聞くも一々味わい、昼夜有り難いと嬉(うれ)しいとに心を寄せ、御陽気をいただきて下腹に納め、天地とともに気を養い、面白く楽しく、心にたるみなきように、一心が生きると人も生きるなり」 (「道の理」)
「神道は祓いの一言に在り。祓いは神道の首教なり」(御教語)
「毎朝、毎朝生まれかわった心地で日拝をせよ」(御教語)
「生まれ子の次第次第に知恵つきて天照る神に遠ざかり行く」 (道歌)