かぎりなき天照る神とわが心
へだてなければ生き通しなり(御文243号)
平成25年12月号掲載
教祖宗忠神が詠まれたこの御歌を、文久2年(1862)のご鎮座直後の神楽(かぐら)岡(おか)・宗忠神社に謹んで書写して奉納されたのが、翌年に関白の大任に就く二條(に じょう)齊敬(なりゆき)公でした。
「 文久二年の夏のころ
宗忠神の遺教の歌を拝写して神社に納めける
かぎりなき
天照神(あまてるかみ)と
我がこころ
へだてなければ
生き通しなり
右大臣藤原齊敬」
気品に満ちた鮮やかな筆蹟(ひっせき)と「拝写」という言葉、そして数ある御神詠の中からこの御歌を選ばれたことに思いを巡らせながら、二條公のお心内を謹んで拝察する次第です。
関白、すなわち天皇を補佐する最高位の大臣を拝命した二條公は、突然の孝明天皇崩御(ほうぎょ)という不慮の事態によって即位された若き明治天皇の職務代行者である摂政として、引き続いて新しい時代の最重要職を務められました。激動の維新前後の日本国の最も中枢にあった二條公の心の支えが、紛れもなく宗忠神の御教えであった事実を思えば思うほど、胸の高鳴りを覚えます。
文化11年(1814)の冬至の朝、東天に昇る旭日を拝して天命(てんめい)を直授(じきじゅ)された宗忠神の御教えが集約された御歌といえるのが、今月の御教えです。
立教二百年の年を、いよいよ来月に迎える立教百九十九年の師走に、「天地の親神たる天照大御神」という神観、そして「人は天照大御神の分心(ぶんしん)をいただく神の子」という人間観を心して学び、この「神人(しんじん)不二(ふに)」(神と人とは二つにあらず)の悟りの上にお導き下さった「生き通し」という「神人一体」(神と人とは一体)への道、それは「へだてなければ」という条件付きの“修行の道”なのですが、この「かぎりなき道」を共に歩ませていただく同心同志の「お道づれ」として、道の誠を尽くしてまいりましょう。