わが元の姿を尋ぬるという心をうけてよめる
わが姿たずぬるにまた及ぶまじ
         ただ天つちに照りわたるもの(御歌209号)

平成25年10月号掲載

 いよいよ、「第六十二回伊勢神宮式年遷宮」の本祭典である「遷御(せんぎょ)の儀」斎行の10月を迎えました。往復1カ月を要する道のりを6度も参宮して、「我(わ)が願いただ一つ。我が祈りただ一つ。我れただ偏(ひとえ)に、天照大御神の御開運を祈り奉(たてまつ)る」と、ひたすら大御神様の弥栄(いやさか)を祈り、もって万物の生々発展を願われた教祖宗忠様の御(み)心(こころ)をわが心として、一層の“祈りの誠”を尽くしてまいりたいと誓いを新たにさせていただくことです。

 教祖様が6回目の、すなわちご生涯で最後の伊勢参宮をなさったのは、弘化2年(1845)3月(旧暦)、数えて66歳の御時のことでした。この時の御参宮がいかに格別のお参りであったかを、同年5月16日付の御書翰(ごしょかん)(お手紙)に認(したた)めておられます。

 「天照皇大神宮へ謁(えっ)し奉り、有り難きこと限り無く、別して(特別に)このたびは、大道明らかに相成り申し候(そうろう)」(御文178号)

 御年数えて35にして「天命直授(てんめいじきじゅ)」という大悟の境地に立ち、30年以上も天照大御神の大道を説き示して来た教祖様が、6度目の参宮にして明らかにされた「有り難きこと限り無く」という感激がどれほどのものであったか…。「教祖様の御逸話(ごいつわ)」(日新社刊)を著したお道の泰斗(たい と)河本一止先生が、「『第二の天命直授』とも申すべき」(「みせぶみ」)と記しておられるのも、むべなるかなと思います。

 昨年の「京都神楽岡・宗忠神社ご鎮座百五十年記念祝祭」に際して、教主様がご教示下さった「黒住教、江戸末期から明治への奔流」(日新社刊)に明らかな弘化3年(1846)に始まる霊験あらたかなご神慮の数々を、その前年の御参宮とともに学ばせていただくと、さらなる感動が湧き上がってきます。加えて、弘化4年(1847)正月に教祖様の代参として伊勢に参った直門の時尾宗道高弟に、「どうか天照大御神様にお目通りをしてお帰り下さい」と特別懇ろに仰せになり、数日参り続けた高弟が大御神様へのお目通りを確信して帰り、直ちに教祖様に報告した際の「ただ今、お目通りをいたしました」とのお言葉からも、間違いなく「神人一体(しんじんいったい)」の至高の境地にいらっしゃった教祖宗忠神の尊き御姿を拝ませていただくことです。