東京二〇二〇+
教主 黒住宗道

 史上はじめて一年延期された東京オリンピックとパラリンピックが、コロナ下の日本で五十七年ぶりに開催されました。まさにコロナ禍真っ只中での開催には様々な意見がありましたが、とにもかくにも両大会が完全に実行され終了したことを一国民として心から安堵し喜んでいます。“無事”とは申せませんが、あれほどの厳しい環境下で事を為し遂げられた関係者各位への感謝と労いの心を、何はさておき私たち“観戦者”は忘れてはならないと思います。その上で、国民の安全・安心を思うが故の慎重論は当然ですし、今後も客観的な議論と精査による総括がなされることを期待しますが、紛れもなく実施され、その意義も明らかな現実を前向きに受け止めて、感謝の念で心を満たすことが“お道的な”生き方だと信じて、今月号の「道ごころ」の題材にさせていただきます。

 メダル獲得という期待どおりの結果を残せた人も残念ながらそうではなかった人も、オリンピックやパラリンピックに選ばれるほどのまさに「選手」ですから、例えばスピード競技であれば「百分の一秒」どころか「千分の一秒」の世界を常に意識した精密機械のように研ぎ澄まされたアスリートたちにとって、何年も前から照準を合わせてきた「二〇二〇」が「+一」に一年間も延期された衝撃は想像を絶するものがあります。コロナ禍で、練習場の確保さえままならなかったアスリートの声も聞きました。ベストコンディションが維持できなかった人もいれば、水泳の池江璃花子選手のように信じ難いほどの本人の努力で「+一」を味方にして「間に合わせた」人もいました。いつもでしたら悔し涙に涙を誘われがちですが、今回ほど「諦めないで頑張り続けて良かった…」の一言に目頭を熱くしたことはありませんでした。

 また、多くの報道でも取り上げられていますが、今回ほど「この舞台に立てたことを、まず感謝したい…」と、お礼の言葉から口を開く選手の多さに「さもありなん…」と胸打たれました。「開催されないかもしれない」という最悪事態を覚悟の上で、開催された時にベストプレーができるように全集中してコンディションを再度整え直してきたに違いないのが、今回の代表選手たちです。直前まで開催の有無が巷間議論され、最終的に決定された無観客開催という前例なき大会は、感染予防のための様々な安全策が講じられた異例だらけのオリンピックとパラリンピックとして、実に多くの人々の尽力で実現化し執行されました。それでもなお、心無い匿名の無責任な批判がネットの世界で飛び交っています。そうした事々に思いを馳せると、選手たちが発する感謝の言葉はスッと心に染み入ります。その時、ふと思ったのは、「地元開催への長期的な選手強化の成果としての最多メダル数(オリンピック)という結果であることは間違いないだろうけれど、『負けるわけにはいかない』とか『頑張るしかない』という思いの根っこが、今大会の選手たちは他の大会とは少し違っていたのではないか…」ということでした。どういうことかと申しますと、一般的に「負けるわけにはいかない」とか「頑張るしかない」は、「これだけ練習を積んできたんだから」とか「これだけ期待されているんだから」と自分自身を奮い立たせる上で重要な心情ですが(プレッシャーの原因でもあるのでしょうが…)、今回、とりわけ結果を出せた選手たちから自然に発せられた感謝の言葉を聞きながら、「開催にこぎつけてくれた人たちのためにも」とか「頑張って支えてくれたあの人のためにも」といった、同じ「負けるわけにはいかない」や「頑張るしかない」でも、“発信源の分母”が一回り大きかったのではないかと感じたのです。思い込みで語りすぎることは控えるべきですが、「自分以外の存在のため」が加わると発揮される力は確かに変わるものです。今大会に限らず、常に支えてくれる人々の存在が欠かせないパラリンピック選手たちの声を聞きながら、一層その思いを強くしました。

 私が、あえて「東京二〇二〇+」と題して語らせていただいたのは、「今年一番の話題に触れないわけにはいかない…」という思いとともに、私たちにとって昨年と今年が〈奉仕の誠〉を修行目標に掲げる年だからです。ここのところ、具体的な活動を話題として紹介していますが、信仰という“心の柱”である〈祈りの誠〉と〈孝養の誠〉も、自らの“心の神”を惟みて省みる〈感謝の誠〉と〈反省の誠〉も、いずれも基本は個人を中心とした「静」と「鎮」の心の修養で、「五つの誠」で申せば、「活」や「動」や「連動・協働」といった身体を用いた対人的でダイナミックな社会性は〈奉仕の誠〉に収斂・代表されます。心身両々相俟って健やかに生きる上で、〈奉仕の誠〉は単にボランティア活動だけを示すものではありません。その意味で、心身ともに鍛え上げて勝負に挑むアスリート(競技者)の言葉は、それだけで胸を打つものが多いですが、とりわけ今大会のように、いよいよという時に一年の延期が決定され、直前まで開催自体が危ぶまれ、結果的に無観客の中で、しかも批判の声も知りながら戦った彼ら・彼女らの姿と言葉から学んだことを、どうしても「道ごころ」として語っておきたかったのです。

 前回の東京五輪開催時、私は満二歳でしたから、実際に観戦した記憶はありません。十月十日生まれの友人が、「体育の日が誕生日なのではなく、僕の誕生日が体育の日になったんだ!」と主張していたのが懐かしいですが、何はともあれ五十七年ぶりの五輪が大過なく開催されたことを、純粋に喜び、そして選手をはじめ関係者各位を称えたいと思います。異例の状況下なればこその大会から得た感動を生きる力にして、当面はコロナ禍終息に立ち向かおうではありませんか!

 「今回の大会、賛否両論があることは理解していますが、我々アスリートの姿を見て、何か心が動く瞬間があれば光栄に思います」と語った、男子柔道を連覇した大野将平選手の言葉が象徴的でした。

 掛け替えのない感動を与えて下さった全ての選手の方々に、そして困難の中、事を為し遂げられた関係者各位に、あらためて心からの感謝の意を表するものです。

追記
 別掲のように、このほど「『いのりのことば』点字版」が発行されましたが、その作製をお願いした「認定NPO法人 ヒカリカナタ基金」(事務所は、大元・宗忠神社すぐ近く)の理事長で岡山盲学校元教頭の竹内昌彦氏が、前回の東京パラリンピック卓球金メダリストとして、今回のパラリンピック開会式に聖火を掲げて夫婦で登場されました。ご覧になった方も多いと思います。ご縁のある方なので、紹介しておきます。