誠には剣も立たず矢も立たず
火にさえ焼けず水に溺れず(伝御神詠)
この御歌は、吉備楽の「御神楽男舞」の「誠心の曲」の歌詩としても知られています。教祖神の御教えをひと言で言い表すと「誠の教え」といえます。
赤木忠春高弟が、誠の強さを示した逸事の一つを紹介します。
赤木高弟は「誠より道はほかにない」「誠があれば怖いものはない」「誠の力は偉大である」と、一語一語かみしめるように、まさに誠心を込めて話しながら、懐紙を取り出して〝こより(細く切った紙をひねって紐状にしたもの)〟を作りました。周りの人たちは、何が始まるのかと不思議そうに見つめていると、高弟はこよりに御陽気を吹き掛けて、
「誠があれば、紙のこよりで鉄の火鉢を突き通すことができる」
と言って、目の前の火鉢を突き刺しました。すると、こよりはまるで鋼鉄の錐のように火鉢を貫いたのです。
誠の強さを説いても、信じようとしない人たちに「誠(信)」があれば山をも動かすという、この道の奥義を示したのです。教祖神は「信心とは、誠の心なれば、一切、誠を離れぬ様に正道を守り行い、一事として天命にそむかぬが信心なり」、また「信心とは、信ずる心、信す心、信の心」とご教示下さっています。
そして、「誠の本体は、天照大御神の御心なり」と仰せで、私たちが大御神様からいただいているご分心(わけみたま)こそ誠そのものです。誠の中で、誠を活かし、誠を錬って、誠を尽くし、誠に徹することがお道修行です。だからこそ、「よりよく生きるための〝五つ(祈り・孝養・奉仕・感謝・反省)の誠〟」の実践がお道の修行となるのです。
人皆の心に内在するこの善なる〝大御神様の御心(ご分心)〟のおはたらきを体現するべく、誠心誠意を尽くして生きることが御教えの実践となります。とりわけ病み悩み苦しむ人を、親子兄弟姉妹のごとく深く思いいつくしむ無私の行為こそ「誠」です。キリスト教における「愛」、仏教の「慈悲」に相当するのが、「誠」といえるのです。誠を尽くし、ご分心のおはたらき(大御神様のご神徳)を存分にいただいてまいりましょう。